この資料は、ジャン・クロード・プレサックによる『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』を翻訳したものです。
(註:以下の目次に含まれていない表紙〜のページはこちらです)
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セルジュ・クラースフェルドによる序文。 | 12 | |
アウシュビッツ国立博物館による宣言。 | 14 | |
PART ONE | 青酸駆除ガス室および他の害虫駆除設備 | |
CHAPTER 1: | チクロンBについての序文 | 15 |
CHAPTER 2: | 収容所の青酸駆除設備 Iブロック26の2つの青酸駆除室 IIブロック3の1階にある2つのガス室。 IIIブロック1の青酸駆除用ガス室 |
23 |
CHAPTER 3: | 基幹収容所の受付棟にある青酸駆除設備 19 BOOSチクロンBガス室 |
31 |
CHAPTER 4: | カナダⅠとその衣料品青酸駆除設備及び1945年のアウシュヴィッツ収容所解放後に撮影された様々なガス室の扉の紹介 | 41 |
CHAPTER 5: | KGLビルケナウにおけるBW 5aおよび5bの青酸駆除および熱気駆除設備 | 53 |
CHAPTER 6: | ビルケナウのセクターB.IIeにあるジプシーキャンプの熱気駆除設備 | 63 |
CHAPTER 7: | 圧力駆除オートクレーブとTopf熱気駆除オーブンを備えたビルケナウ「セントラルサウナ」 | 65 |
PART TWO | 序文 | |
情報源: PMOファイルの内容のリストBW 30/1から30/46 |
87 | |
CHAPTER 1: | Topf社の歴史とアウシュヴィッツ・ビルケナウ・クレマトリエンの装備におけるその役割 エアフルトのTOPF & SONS社とTrzebinia労働収容所のTOPF & SONS社が製造した火葬炉の一般的な説明 | 93 |
CHAPTER 2: | クレマトリウムIまたは基幹収容所の「旧火葬場」(アウシュビッツ収容所) | 123 |
CHAPTER 3: | 第一ブンカーーまたは「赤い家」とその想定される大量の遺体埋葬地 | 161 |
CHAPTER 4: | 第二ブンカー(後にブンカーVと改名)または「白い家」とその脱衣所 | 171 |
CHAPTER 5: | クレマトリウム II と III 計画・施工・総合的な検討 |
183 |
CHAPTER 6: | クレマトリウムⅡとⅢの換気システム | 355 |
CHAPTER 7: | クレマトリウムIV とV 計画・施工・総合的な検討 |
379 |
CHAPTER 8: | 「1つの証拠…1つの単一の証拠」:39の犯罪の痕跡 | 429 |
PART THREE | 証言 | |
CHAPTER 1: | 1944年11月のKLアウシュヴィッツ・ビルケナウに関する「戦争難民委員会」報告書の批判的検討 | 459 |
CHAPTER 2: | ビルケナウクレマトリウムと殺人ガス処刑に関するベンデル医師とニーシュリ医師の証言の批評的検討 | 469 |
CHAPTER 3: | 1945年5月24日、クレマトリエンI、II、IV、Vのゾンダーコマンドーの元メンバーであるヘンリク・タウバーの宣誓供述書。 | 481 |
PART FOUR | アウシュビッツと修正主義者 | |
CHAPTER 1: | アウシュビッツは修正主義者達による説明: 「Vergasungskeller」はガス室なのか、それともガス気化室なのか? |
503 |
CHAPTER 2: | 修正主義者たちによるアウシュヴィッツ 有名な休暇キャンプ、KLアウシュヴィッツの写真展と建設管理部による「プレゼンテーション」の写真展 |
507 |
PART FIVE | アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の実現不可能な未来 | |
CHAPTER 1: | 殺戮なしの収容所の頓挫した未来 | 517 |
CHAPTER 2: | ビルケナウ1945: 絶滅ステーション | 533 |
POSTFACE | あとがき (この研究に取り組むきっかけとなった個人的な経験) |
537 |