PART ONE CHAPTER 7 ビルケナウの「ZENTRAL SAUNA」とその蒸気による害虫駆除用オートクレーブ、トプフの熱気による害虫駆除用オーブン

この資料は、ジャン・クロード・プレサックによる『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』を翻訳したものです。

phdn.org

目次 - アウシュビッツ ガス室の技術と操作 J-C・プレサック著

特定のページのリンクを貼りたい場合は、

このページのURL + #p + 三桁のページ番号

としてください。

[例:チクロンBの取扱説明書のあるページ(Page018)を指定したい場合]

https://holocaust.hatenadiary.com/entry/2020/08/21/031127#p018

※Page64はブランクページ。

Page065

 

CHAPTER 7 ビルケナウの「ZENTRAL SAUNA」とその蒸気による害虫駆除用オートクレーブ、トプフの熱気による害虫駆除用オーブン 

ビルケナウ「ZENTRAL SAUNA」または「NEUE SAUNA」指定作業場 BW 32

「ZENTRAL SAUNA」の研究が必要なのは、いくつかの理由からである。

  1. 修正主義者(例えばフォーリソン)は、ビルケナウの唯一のガス室とみなすものをここに位置づけた。
  2. 絶滅と害虫駆除(註:ここでは消毒殺菌も含む)の設備を区別し、可能な限り分離するためである。この2つの混同は、親衛隊の被告(デジャコなど)がしばしば弁護のシステムとして利用してきたからである。
  3. 現実的で綿密な調査によって、この複合施設にガス室がなかったことが証明されたことを示すためである。
  4. 読者が著者の作成した資料(図面、現代および最近の写真、書簡、証言)と修正主義者の資料とを比較できるようにするためである。

Zentral Saunaは、KGLビルケナウで最も包括的な熱気及び蒸気による害虫駆除設備であった。1942年8月の「衛生危機」(チフスの流行)の後に設計され、その最初の3枚の図面は1942年11月のものである[図面1、2、3]。 その設備は、3台の害虫駆除用オートクレーブと4台のトプフ害虫駆除用熱風器であった[図面4}。しかし、建設管理部は2つの理由から、32番工場で迅速に工事を開始しなかった。まず、流行が部分的に収まったので、大規模な衛生・害虫駆除設備の必要性はあまり感じられなくなった。第二に、より「制御された」状況になった結果、WVHA-SSから大規模な設備のための資金を得ることが優先されなくなったことである。1942年11月の図面がベルリンに届いたのは、1943年1月のことだった。囚人の散髪、診察、害虫駆除、シャワー、衣服や荷物の害虫駆除など、複数の衛生作業を同時に行えるように設計されているが、当初の計画では囚人の受付や待機場所のスペースが不十分であったことが大きな欠点であった。建設管理部は、1943年3月にさらに4枚の事実上決定的な図面[図面5、6、7、8]を作成させ、この誤りを正した。1943年4月28日のWNHAからの書簡では、最初の3つの図面はキャンセルされたとみなされ、アウシュヴィッツ建設管理部はその目的に対してできるだけ正確に建築物のサイズを決めるよう勧告されているので、ベルリンWVHA-SSはおそらくこのことを知っていたのだろう[書簡を参照のこと]。建物の排水図面[図面9]は、BW32の新しい構成が受理された後の5月に作成されたものである。6月上旬に必要な資金が確保されると、夏が近づくにつれてチフスの発生が懸念されたため、直ちに作業に取り掛かった。土壇場で何度も修正を加え[図面10]、1943年秋に完成した[図面11、写真12、13、14]。1943年12月に稼働し[写真15、17、25、30、31、35、41]、1945年1月の収容所解放まで機能した。そのままソ連の手に落ちた[写真15]。その際、建物内部の写真が撮られたかどうかは不明である。50年代か60年代には、Zentral Saunaの中央部分の屋根が落ちた。その後、アウシュビッツ博物館によって、かなり完全な修復が行われた。このことは、現在の構内の様子[写真18~24、27~29、32~34、36~40、42、43]を検討する際に留意しておく必要がある。親衛隊が設置した排水システムのメンテナンス不足により、年々水位が上昇し、Zentral Saunaの地下は完全に水浸しになり、そのためのポンプを設置したものの、もはや除去することは不可能である。

 

ZENTRAL SAUNA(BW 32)に関する通信文

ポーランドにおけるヒトラーの犯罪を調査するワルシャワ中央委員会の文書館には、1969年付けのソ連十月革命」中央国家文書館からのマイクロフィルムがあり、参照番号M 598cのセクション「Arch.sammlung no.1372, Beschreibung no. 5 / Evidence no.156」に記載されており、14ページに及ぶ一連の手紙には、後に 「Zentral Sauna」と呼ばれることになる熱気及び蒸気による害虫駆除センターが建設された理由の歴史が描かれている。これらの手紙のコピーは持っていないので、以下に、全リストと、日付の後の括弧内にセクションのファイル番号を記した簡単な履歴を示す。

1943年4月7日(14)。アウシュヴィッツ建設管理部は、害虫駆除設備のプロジェクト図面をベルリンに送った(BW32の新しい図面、番号2151、2157、2159、2184に間違いないだろう)。

1943年4月28日(13と12)、ベルリンWVHAは図面を評価した後、建設管理部に返答した。

Die Warte, Aus-, Ankleideräume sind nicht grösser als nötig vorzusehen / 待合室、脱衣室、着替え室は必要以上に広くしない。」

BW32の最初の3枚の図面には、実際にはこのような大きな囚人用の待合室はなかった。このような「慰安」を「帝国の敵」に提供することは、戦争努力の「妨害」と見なされる可能性があり、それは対外戦線のために国内戦線を倹約することを意味する。さらにWVHAは、1943年1月13日に受け取った最初の図面が「キャンセルされた」(ungültig)ことを指摘した。[アウシュビッツ建設管理部に回答したベルリンの官僚は、1801、1845、1850という数字を本当は1841、1846、1850とすべきなので、やや仕事を怠っていた] 。

1943年6月4日(9と8)、BW32の作業が開始された後、建設管理部はベルリンWVHAに進捗状況を報告する手紙を出している。ジプシー収容所(ビルケナウB.a.IIE)の健康衛生状態が悪化したため、設置が急がれたのである。「Entwesungsofen /熱気による害虫駆除用オーブン」(図面D 60283参照)はエアフルトのトプフ・ウント・ゼーネ社が、オートクレーブはミュンヘンの別の専門業者が供給した。将来のZentral Saunaについても丁寧に説明された。

1943年6月5日 (7) WVHAの親衛隊将軍カムラーからの手書きメモと思われる手紙。

1943年6月9日(6と5)、1943年6月30日(10)、1943年7月8日(11)、1943年7月17日(4)。「Entwesungs- und Desinfektionsgebäude im K. G. L. / 捕虜収容所における熱気と蒸気による害虫駆除の建物」の進捗状況を報告する手紙のこと。

1943年7月20日(2)、建設管理部は「Hygienische sofort Massnahmen im KL Bereich / 強制収容所区域における即時の健康対策」を強調した。 この手紙には、ネズミ対策や、死者が増えていることから「Leichenhalle(死体安置場所)」の設置が書かれていた。

1943年8月4日 (3 及び 1) 建設管理部の責任者ビショフの署名入りの2通の手紙は、再びLeichenhalleの建設について述べている。

このやりとりを見ていると、3つの重要なポイントが見えてくる。

  • 1943年7月、チフスなどの病気を媒介する害虫の増殖源となったジプシー収容所の衛生・健康状態の惨状。
  • 囚人宿舎にネズミがいたこと(SSの上部、カポ、班長
  • ベルリンWVHAが消毒・殺菌のための建物、Zentral Saunaの設計に直接介入したことで、結局はかなり単純なプロジェクトであった。このベルリン側の指示主義は、クレマトリウムの「建築家」の一人であるウォルター・デジャコ親衛隊少尉のアリバイとして、たとえば、ロイト地方法廷(ゲオルク・マイヤー博士らに対する刑事訴訟)での1962年4月3日の供述や、1972年1月から3月のウィーンでの彼自身の裁判でも役に立った 。 

熱気及び蒸気による害虫駆除作業の荷物について

チェコの元囚人がアウシュビッツ博物館に送った手紙には、 Zentral Saunaで行われたこれらの作業が記されていた。 

(要約)

使用した手順は以下の通り。

  • 熱気:コートやアウターなど、大きくて重い荷物。蒸気:下着、シャツ、あらゆるタイプの衣服など、「軽度」な荷物。
  • 例えば、囚人服の「Zebra-Kleider」のように、軽装とみなされるものもある。毛布もこのグループに含まれる。
  • その他:靴やベルトなどの革製品は、石炭酸(フェノール)を使って害虫駆除した。ライゾールや青酸を含んだ水、それにチクロンBの結晶を注いだ混合液で害虫駆除した。

この手紙には、この作業が24時間続き、8時間ごとに囚人が3交代で交代していたことが書かれている。

この元囚人が述べた方法は、当時アメリカ軍で使われていた方法とほとんど同じであることに注目したい[次ページ参照]。

 

Page066

アメリカ陸軍の消毒(害虫駆除)法

米国陸軍省発行の「MEDICAL FIELD MANUAL FIELD SANITATION」ワシントンD.C. 1940年、第9章「シラミの防除」より抜粋。

168:管理措置:

(2)衣服・装備の消毒

b. シラミとその卵は、155°F [68°C] の温度で乾熱すると1分で、131°F [55°C] の温度で5分で、熱湯に30秒浸すと成虫も卵も死滅する。乾熱は、革、フェルト、ウェビングを傷つけないが、毛織物を傷つける。沸騰水はウールを縮ませるが、蒸気はほとんど縮まない。

171:移動式消毒器

これらは四輪トレーラータイプで、現在の蒸気消毒器も製造されているが、通常は蒸気圧消毒器である(スレッシュタイプ)。 圧力式は、横長の蒸気室の周囲にボイラーと一体になったアウタージャケットを配置したものである。衣類を消毒機に入れた後、10~15インチ[254~381mm水銀]の真空状態にした後、15ポンド[6.8kg]の正圧になるまで蒸気を投入し、約20分間保持する(水温165℃に相当)。この時間が終わると蒸気を放出し、10~15インチの真空状態を作り出し、衣類を乾燥させる。この真空状態を5分ほど保つ。衣類はスチームが浸透するように、ゆるく配置する。

172:セルビアン・バレル

a.(要約)ここでは、底に金網のある亜鉛メッキのゴミ箱などに入れた衣類に、下の熱湯の蒸気を45分間通して消毒している。

173:即席の熱気消毒器

衣類や機器は、オーブン、箱、缶の中に入れて乾燥熱を加えることができる。小さな建物や掘っ立て小屋は、空気を160°F(71℃)に加熱する装置を設置することで、熱気消毒器に変えることができる。衣服はゆったりと吊るして30分程度露出させる。

175:温水

綿、麻、絹の衣類は、沸騰したお湯に1分間、または135°F [57°C]以上の温度のお湯に) 生時間浸すと消毒されるかもしれない。消毒と同時に殺菌するためには、衣類を少なくとも160°F [71℃]の温度で15~30分間加熱する必要がある。毛織物はこの方法で消毒できるすが、かなりの縮みが生ずる。皮革、フェルト、網状のものは、熱湯にさらすと傷む。

177:化学物質

a. 酢酸(ビネガー)、灯油、ガソリン、クレゾール、ナフタリンなどの化学物質を、侵入した人の体や衣服に塗布することができる。しかし、これらの物質のほとんどは、卵を殺すことはできない。

b. (要約)クレゾールの5%水溶液、または約100°F[38℃]の温度で30分間維持できる2%水溶液。

 c. (1943年12月の補遺)。20ccのアンプルがすでに入った専用袋を使用した臭化メチル袋燻蒸。衣服の温度により、燻蒸時間が異なる。55°F (13°C) 以上では、4分の3時間。55°Fより10°[5~6°]下がるごとに、燻蒸時間を30分追加し、45°F(7℃)で1時間30分、35°F(2℃)で1時間30分、25°F(-4℃)で2時間30分とする。

米国陸軍の現場衛生に関する勧告から抜粋したもので、消毒する物品によって使い分けられる害虫駆除方法である。

171項は、ビルケナウZentral Saunaの3つのオートクレーブの働きと、南側のドアに取り付けられた2つの計器(一つは温度用、もう一つは圧力用)の機能を理解することを可能にしてる。

臭化メチル袋燻蒸の原理は、小さなガス室のようなものである。アウシュヴィッツでは、袋はレンガやコンクリートのガス密閉室となり、害虫駆除剤は青酸であった。 

 

Page067

f:id:hotelsekininsya:20200824011605j:plain

修正主義者の出版物からの抜粋

[セルジュ・ティオン著『歴史的真実か政治的真実か、フォーリソン事件のファイル、ガス室の問題(Vérité historique ou vérité politique. le dossier de l'affaire Faurisson, la question des chambres à gaz)』の310頁と311頁のコピー。La Vieille Taupe、1980年4月] 

Document IV Documentation photographique Deux photos (l et 2) d'une vraie chambre à gaz d'Auschwitz-Birkenau II s'agit d'un autoclave pour la désinfection des habits. (l.-) L'autoclave vu de l'extérieur. (2.-): L'intérieur avec ses tringles pour les vêtements. Explication: le gazage des vêtements n'était pas une mince affaire. Il exigeait des installations d'une complication relative. On utilisait rarement le Zyklon B, jugé trop puissant. difficile à ventiler et reservé en principe au gazage des bâtiments, des silos, des navires. On utilisait le "N," le "Cartox," le "Ventox," l' "Areginal," etc. Imaginez, par conséquent, l'appareillage extraordinairement sophistiqué qu'il aurait fallu concevoir et construire pour gazer chaque jour plusieurs fournées de 2000 hommes avec du Zyklon B [accès, observation, envoi de Zyklon B et, surtout, aération). 

翻訳

資料IV
写真資料 

アウシュビッツ・ビルケナウに実際にあったガス室の写真2枚(1、2)。衣類を害虫駆除するためのオートクレーブである(I):外から見たオートクレーブの様子。(2):衣類を掛けるためのレールを備えた内装。説明:衣類のガス処理は簡単な仕事ではなかった。比較的複雑な設備が必要であった。チクロンBは、強力すぎて、換気が難しく、一般に、建物、サイロ、船へのガス注入に使われるだけで、ほとんど使われることはなかった。使用された製品は、「N」、カルトックス、ヴェントックス、アレジナルなどであった。したがって、2000名の数バッチを毎日チクロンBでガス処理するために、設計・建設されなければならなかった非常に高度な設備(アクセス、観察、チクロンBの導入、とりわけ、換気)を想像して欲しい。

オートクレーブかガス室か?

上記の「資料IV」は、ガス室が非常に複雑な装置であるという彼の論文を支持するために、フォーリソンが提示したものである。写真1が写真35の現況、写真2が写真28に相当する。提供される資料は、この2枚の写真に限られる。

まず、写真1、2の説明の最初の2行で「ガス室はオートクレーブである」と述べていることにすぐさま矛盾があることを指摘したい。

Encyclopedie internationale des sciences et des techniques(科学技術国際百科事典) (in 10 volumes), Presse de la Cite, volume 2, page 87によるオートクレーブの定義は次の通り。

オートクレーブ(ギリシャ語のautosラテン語clavis「自らを閉じるもの」から。)は、ドゥニ・パパン(1647-1714)の圧力釜の原理から派生した装置で、蒸気の内圧(著者下線部)により密閉性が得られ、急激な温度上昇が起こるため、封入した対象物を滅菌するために使用するものである。 

従来の害虫駆除ガス室では、ガスの濃度や接触時間によって動作が異なる。ガスはガス室の全容積を満たし、例外はあるにせよ、通常の場合、ガスによって及ぼされる圧力はごくわずかであり、「オートクレーブ」のようなものを必要としない。

トプフ社の蒸気による害虫駆除オーブンは熱風で、オートクレーブは蒸気で作動することを白黒で示した(自明のことである)ドイツ語の文書が存在しなかったために、オートクレーブがガス室でないことを正式に証明することはできないのである。しかし、写真35には、蒸気圧を監視するための圧力計と温度を測定するための温度計が写っており、それだけで最初の証拠不十分さを補うのに十分である。

このような文書の厳密な解釈をめぐっての論争は、「修正主義者」が得意とするところである。そのため、この議論は長い間未決定のままであり、その期間はアウシュビッツについて限られた知識しか持たない多くの人々を混乱させるかもしれない。この修正主義的な戦術は、新しい証拠がない限り、「ペイ」する。新たに発見された図面や手紙によって、現実を白黒説明できる日が来れば、「修正主義者」は一掃されるであろう。

結論

プロジェクト図面、確定図面、当時の写真、現在のZentral Saunaの写真などを提示することで、読者は建設管理部メンバーの仕事の進め方、建物に起こりうる進化と変容に親しみ、理解することができたと思う。ビルケナウのクレマトリウムII、III、IV、Vのデザインも例外ではなく、そこにも同様の進化を見ることができるだろう。

私はまた、Zentral Saunaのオートクレーブを例にとって、修正主義者のある種の断言--きわめて明白な誤り--に反論する文書を見つけることが困難であることを示した。

最後に、Zentral Saunaは通常非公開だが、ポーランド人スタッフが見学の依頼を断らないので、見学者に教えてあげたい。

 

Page068

[最初の3枚の図面は、実際には実現されなかった建設管理部プロジェクトに過ぎない] 

f:id:hotelsekininsya:20200824013925j:plain

図面1:1942年11月24日の建設管理部図面
[PM0 neg.no.20947]  

Desinfektion - u. Entwesungsanlage im K.G.L., Erdgeschoss / 熱気及び蒸気による害虫駆除(消毒)設備、捕虜収容所[ビルケナウ]、一階。

囚人538号が作図、デジャコがチェック、1942年11月28日にビショフが承認。

図面内文字の翻訳

  • Masstab 1:100 / 縮尺1: 100      
  • Personal / スタッフ       
  • Material / 倉庫      
  • Alle Masse sind Rohbaumasse und sind nochmals zu prüfen.
  • Maschinenaufstellung siehe bes. Zeichn. /  寸法はすべて概算のため、確認が必要。機械の設置は別途図面を参照のこと。      
  • Reine Seite / 清潔な側
  • Unreine Seite / 不潔な側      
  • 7cm Heraklithplatten / 7cm ヘラクレスパネル      
  • Kammer 1, 2, 3 / チャンバー(室)1, 2, 3      
  • Eingang zum Keller / 地下への入り口      
  • Treppe / 階段      
  • Erdgeschossgrundriss / 一階の計画      
  • W.C. / W.C.      
  • Büro / オフィス
  • SS-W.C / SS W.C.      
  • Vorr./ 表玄関      
  • W. F. / 風避け      
  • Ausgang / 出口       
  • Ankleideraum / 着衣室     
  • Gang /  廊下       
  • Boilerraum / 温水タンク       
  • Handtücher / タオル
  • Trockenraum / 乾燥室     
  • 2 Br./ 2つのシャワー
  • Brauseraum. 54-Braunen / シャワー室、54のシャワー     
  • Auskleideraum / 脱衣室   
  • Scherraum /  「剪定室」(囚人の髪を切る場所)  
  • Untersuchungsraum /  診察室    
  • Arzt / 医師
  • Wertsachen / 貴重品      
  • Annahme / 受付      
  • Eingang / エントランス

B.W.32という名称のこの建物は、サウナとは名ばかりである。その機能は、囚人とその衣服の害虫駆除(消毒)に限定されている。

囚人が通る道は、玄関で「受付」、貴重品を保管する「倉庫」、脱衣所で健康診断と頭髪の刈り取りが行われる。その服は、オートクレーブや熱気室に送られる。その後、囚人たちは50人単位でシャワーに行き、タオルを受け取って体を乾かし、脱衣所で害虫駆除された服を着て待つ。SSの最終チェックの後、「サウナ」から出てくるのだが、着衣・脱衣室は広く見えるが、人数からすると非常に狭いということがわかる。 

 

Page069

f:id:hotelsekininsya:20200824015724j:plain

図面2

1942年11月25日の建設管理部図面 [PMO neg. me 20930/1] 
 Desinfektions u. Entwesungsanlage, Keller / 熱気及び蒸気による害虫駆除設備、地下

1942年11月25日衆人番号538による作図、
デジャコによるチェック、1942年11月28日にビショフにより承認
縮尺1:100

図面内文字の翻訳

  • Kellergeschossgrundriss / 地下の計画      
  • Nichtunterkellerter Teil / 地下のない部分     
  • Heizraum / ボイラー室      
  • Handpumpe / 手押しポンプ      
  • Frischlufteintritt / 新鮮な空気の入り口      
  • Brennstoffr. / 燃料庫

 

Page070

f:id:hotelsekininsya:20200824020348j:plain

図面3

1942年11月24日の建設管理部の図面[PMO neg. no. 20930/2]  

Desinfektions- u. Entwesunglanlage, Ansichten / 熱気及び蒸気による害虫駆除設備、立面図

囚人番号538が1942年11月24日に作図
デジャコによってチェック、1942年11月28日ビショフによって承認

図面内文字の翻訳

  • Seitenansicht / 側面図    
  • Vorderansicht / 正面図      
  • Hinteransicht / 背面図
  • Schnitt A-B / 断面A-B      
  • 10cm Betun mit tem Estrich. 18cm Vorlage / 10cmコンクリート、2cmスクリード、18cm硬質盛土       
  • Schnitt C-D / 断面C-D      
  • Spar-Binder siehe bes. Zeichnung / 屋根トラス - 別冊の図面を参照     
  • Dachdeckung: Dachpappe / 屋根材:ルーフィングフェルト   
  • O.K. Gelinde / 地上レベル
  • Massivdecke /  ソリッドな天井     
  • Isolierung /  クランププルーフ     
  • Eisenbeton / 鉄筋コンクリート   

 

Page071

図面4:

1943年2月18日のトプフ・ウント・ゼーネ社による図面D 60283

TOPF-ENTWESUNGS-OFEN / トプフ製の熱気による害虫駆除オーブン

Bauleitung des Waffen SS und Polizei O.S. / 武装親衛隊及び警察による建設管理部のためにエアフルトのJ. A.トプフ社が1943年2月18日に描いた図面。アウシュビッツ、上部シレジア
縮尺1:20 

f:id:hotelsekininsya:20200824021325j:plain

図面内文字の翻訳

  • Tragkonstruktion für das Flugelrad / ブロワーハウジング      
  • ... für die Entlastung der Heizkanale /...熱気ダクトを和らげるために      
  • Auflageblech für die Trennwand /  隔壁の支持板   
               
         (図面上の寸法はミリメートルで表示)  

この図面は、モスクワの「十月革命」中央国家公文書館にあったものである。これは、1966年、ソ連の「Prokuratura(検察)」から、ポーランドにおけるヒトラー派の犯罪を調査するためのワルシャワ中央委員会に提供され、1968年、この組織から、アウシュヴィッツ・クレマトリウム「設計者」、元SS将校デジャコとアートルの裁判のために、ウィーン刑事裁判所第一審に送られたものである。

この文書は、「Ofen/オーブンまたはチャンバー」という言葉を含み、アウシュヴィッツ・ビルケナウの火葬炉を建設したエアフルトのトプフ・ウント・ゼーネ社が作成したものであるが、クレマトリエンとはまったく関係がない。この写真には、その後Zentral Saunaに設置された、高温または超高温の空気を使用する一対の「Entwesungsofen o. - kammer / 熱気による害虫駆除オーブンまたはチャンバー」のうちの1つが写っている。一対の「オーブン」の長さである4.74mは、Zentral Saunaの最終版である建設管理部の図面2159に正確に示されている。図面D 60283が不完全なため、施工された幅4.52mは確認できず、おそらくオリジナルの1/4から1/3程度しか表示されていない。「Waffen」の文字の上と左端にある二つの凹みは、写真35と36に写っている壁の窪みにある換気用のモーター(おそらく)の位置を示している。

 

Page072

ZENTRAL SAUNAの完成予想図

図面6

1943年3月2日の建設管理部図面215?[PMO neg. no 20930/8]

Disinfektions- und Entwesungsanlage im K.G.L. Auschwitz / 捕虜収容所の蒸気及び熱気による害虫駆除設備 Erdgeschossgrundiss / 一階の計画
縮尺1:100 図面は非常に状態が悪く、番号も判読できない(215?)
1943年2月3日、囚人538号が描いたもの。
1943年3月2日にデジャコと民間人(Z.A.)がチェックしたらしい。

f:id:hotelsekininsya:20200824022342j:plain

この図面では、着替え室や待合室が当初の計画図面より大幅に広くなっている。このように、囚人たちの通るべき順路は修正される。「Zugang(入り口)」と書かれたドアから入り、服を脱ぎ、「不潔な側」の廊下を通り、「毛刈り」、そして「健康診断」へと進む。裸で毛を刈られ、害虫駆除され、シャワーを浴び、タオルで体を乾かし、すべて親衛隊の監視下に置かれる。そして、「清潔側」の廊下で消毒された服を待つか、必要なら他の服を受け取り、服を着て「Abgang(出口)」から出て行く。  

図面内文字の翻訳

  • Kleider-Lager u. Ausgabe-Raum / 衣料品庫及び発行所      
  • Warte und Ankleide-Raum / 待合及び着衣室      
  • Klosettanlage / トイレ - Kleider-Ausgabe-Raum / 衣類受け渡し室      
  • Wertsachen / 貴重品 
  • Aufnahme / 受付      
  • Warte und Auskleide-Raum / 待合及び脱衣室     
  • Abgang / 出口
  • Zugang / 入り口      
  • Mat. / 倉庫
  • Heizergrube / ストックピット      
  • Entw. Kammer 1, 2, 3. 4 / 熱気による害虫駆除室1, 2, 3, 4      
  • Reine Seite / 清潔な側
  • Unreine Seite / 不潔な側      
  • Entwesungskammer siehe bes. Detaile der Fa. Topf / 熱気による害虫駆除室はトプフ社の詳細図面を参照       
  • Alle Masse sind Rohbaumasse und sind vor Baugeginn zu prüfen / すべての寸法は、ラフな外郭寸法であり、作業を開始する前に確認する必要がある。      
  • Trocken-Raum / 乾燥室     
  • Handtücher / タオル 
  • Aufsicht / 監視
  • Boiler-Raum / 温水タンク      
  • Brause-B. / 浴室及びシャワー    
  • Scher-Raum / 断髪室     
  • Untersuchungs-Raum / 診察室
  • W.C. / W.C      
  • W.F. / 風避け
  • Arzt / 医師      
  • Eingang für den Arzt / 医師の入口      
  • Eingang zum Keller / 地下への入り口     
  • Strasse / 道 

 

Page073

図面5: 
建設管理部図面2151:[PMO neg. No. 20930/5]

Desinfektion- und Entwesungsanlage int K.G.L (B. W. K.G.L. 32) Kellergeschossgrundriss und Fudamentplan / 捕虜収容所の熱気及び蒸気による害虫駆除設備、地下室、基礎の図面
1943年1月3日、囚人538号によって描かれ、デジャコがチェック、1943年2月3日、ビショフによって承認。

  [この図面は、以下に複製された在庫図面No.3084に「Druckkessel / 圧力容器」を追加して複写されたため、提示されていない] 

 

図面7: 
建設管理部図面2159 [PMO neg. no 20930/5]

Desinfektions-und Entwesungsanlage im K.G.L. Auschwitz B.W. 32 / アウシュヴィッツ捕虜収容所の熱気及び蒸気による害虫駆除設備BW32
縮尺1:100
囚人番号538によって作図
デジャコによってチェックを受け、1943年3月8日ビショフによって承認された。

この図面は、現在もビルケナウで見ることができるZentral Saunaの最終的な外観を示したものである。 

f:id:hotelsekininsya:20200825170125j:plain

図面内文字の翻訳

  • Schnitt a-b / 断面a-b      
  • 5cm Heraklithplatten / 5cmヘラクレスパネル      
  • Spar-Binder / 屋根トーラス     
  • O.K. Gelände / 地上面     
  • Isolierung / 断熱処理      
  • Aufschültung / 盛土       
  • für die Starke der Eisenbetonplatte ist stat. Berechnung massgebend / 鉄筋コンクリートスラブの厚さは静的計算で決定する。
  • Vorlage 12cm Ziegelmauerwerk oder Magerbeton /煉瓦床
  • Vormauerung 12cm / 12cmの耐霜層       
  • Schnitt c-d / 断面c-d      
  • Grundwasserspiegel / 水位レベル      
  • Massivdecke / ソリッドな天井
  • Nord-Ansicht /  北面図    
  • Ost-Ansicht / 東面図      
  • West-Ansicht / 西面図     

熱気による害虫駆除室の4本の煙突と、セントラルヒーティングとシャワー用の温水と3つのオートクレーブ用の蒸気を作る地下のボイラー室につながる集合煙突は、完全に目に見える。

図面の右隅に赤字で「Geprüft / 1943年7月14日にチェック。No. 34142/43」と手書きされている。1943年8月16日の日付で、建設管理部の民間人のタイクマンの署名がある。    

Page074

図面8
建設管理部図面2184:

Desinfektions- und Entw. Fundamentgrube / 熱気及び蒸気による害虫駆除設備用の基礎掘削。Fundamentgrube der Entwesungofenanlage für B.W. 32 als Wassenlichte Wanne / B.W. 32の熱気による害虫駆除オーブン設置のための基礎掘削を水密槽として実施。
縮尺1:100、デジャコがチェックし、ビショフが43年3月17日に副署をした。
この図面は、熱気による害虫駆除用「オーブン」の3つの断面が描かれているが、提示されていない。Entwesungsofen = Entwesungskammerであり、この設備で使用される薬剤は乾熱、すなわち非常に熱い空気であることを示している。

 

図面9
建設管理部図面2451 [PMO neg. no. 220943/17]  

Kanalisation Entwesungsanlage und Kanal 23. Lageplan 1:200 (Kanalisation K.G.L Effektenlager B.W. 18) / 熱気による害虫駆除設備・下水道23の排水状況図 1:200 (荷物物品のための収容所施設[カナダⅡ]の排水状況図 B.W.18)

B.W.という名称は、ビルケナウのBauabschnitt /建設段階におけるすべての排水・下水工事を対象としてる。

縮尺1:200
1943年5月24日に囚人89711と89722[ただし、おそらく2番目の番号だけが有効で、1番目は打ち抜かれている]によって描かれた。
1943年5月29日にヤニシュがチェックし、ビショフが承認。

f:id:hotelsekininsya:20200825172501j:plain

図面内文字の翻訳

  • Prüfschacht / マンホール
  • Steinzeugrohr / 土管
  • Shacht / シャフト
  • Ringstrasse / 環状路
  • Kanal / 下水
  • Effektenlagerstrasse / 荷物物品収容所施設の道 

この図面は、ビルケナウの各建物が効果的な排水(汚水と雨水の排出)を備えていたことを示す一例で、水位が近く、多くの囚人がいたために必要な予防措置である。

この図面は、1944年5月から6月にかけて親衛隊が撮影したハンガリーユダヤ人の移動道路の名前を確定するのに役立った(写真は『L'Album d'Auschwitz(アウシュビッツ・アルバム)』 Seuil, November 1993に掲載されている)。 

 

Page075

左側の図面(編集コメント:プレサックはP74の画像を参照)を見るには、これが上になるように紙を回転させ、圧力容器が垂直に設置されていることを確認する必要がある。熱気による害虫駆除室4と第一オートクレーブの間にある「Heizergrube」に置かれた(図面3084の地下投影図に見られる位置)。50台のシャワーを供給した「Boiler-Raum」の2つの温水タンクに直接接続されている。

この補足図は、建設管理部が、命令や自らの権限で、確定的と思われる建設計画を修正することを躊躇しなかったことを示している。この改造は図面に痕跡を残しているが、図面が変更されずに実施されたものもあり、建設管理部の通信にのみ記載がある。その実現は、収容所に残された建物や廃墟の中に、物質的に確認することができる。建設管理部が計画した設備は、図面上ではほとんどデザインが変わらないことが多いのだが、最終的に実装する際には内部で多くの変更が行われることがある。このようなぎりぎりの変更が、インベントリー・ドローイング(新築建物の引き渡し時に特別に作成される合成図面)に現れることは、ごくまれなことである。

f:id:hotelsekininsya:20200825181839j:plain

図面10

建設管理部図面2876 [PMO neg. no.20930/6] 

Aufstellung eines Druckkessel im Entwespungsgebäude / 熱気による害虫駆除棟に圧力容器設置 

縮尺1:50
1943年9月23日、囚人129793によって描かれた。
ヤニシュがチェックし、ビショフが承認した。

 

Page076

図面11

建設管理部図面3084 [PMO neg. no. 20930/7] 

Bestandplan der Desinfektions- und Entwesungsanlage (K.G.L. Auschwitz) / 熱気及び蒸気による害虫駆除設備の在庫図面
アウシュヴィッツ捕虜収容所)

縮尺1: 200
囚人番号23241による作図、1943年10月28日にデジャコとタイヒマン(民間人)がチェック、1943年10月30日か31日にヨータンが承認。

f:id:hotelsekininsya:20200825182804j:plain

図面内文字の翻訳

  • Schnitt a-b / 断面a-b
  • Schnitt c-d / 断面c-d       
  • Ost-Ansicht / 東面      
  • Nord-Ansicht / 北面      
  • Kellergeschoss und Fundamentalen / 地下室と基礎の計画      
  • Ofenfundament / オーブンの基礎      
  • Brunnen / 井戸     
  • Heizraum / ボイラー室      
  • Brennstoffraum / 燃料庫      
  • Lageplan 1:5000 / 状況説明図 1:5000      
  • Kläranlage / 下水処理場      
  • Entwesungsanlage / 熱気による害虫駆除設備      
  • Krematorium /クレマトリウム (IV)      
  • Krankenbau / 病棟 (B.a.IIf)      
  • Erdgeschoss / 一階(翻訳については、1943年3月2日の判読不能な番号の図面[図面5]を参照してください。)
  • In the "Boilerraum / 温水タンク室
  • 2 Rückschlagventil 2 1/2"/ 2 1/2インチノンリターンバルブ
  • 2 Absperventil 2 1/2 / 2 1/ 2インチカットオフバル
  • W.R. / 洗面所     

1階の平面図を見ると、圧力容器が2つの温水タンクに接続されていることがわかる。3台のオートクレーブへの蒸気供給については記載がない。地下1階と地上1階の図面を見ると、不潔な側の各オートクレーブの横には、排水を排出するためのグレーチングで覆われた排水口があることがわかる。     

 

Page077

f:id:hotelsekininsya:20200825183841j:plain
写真12[PMO neg. no. 20995/467]

1943年夏、完成間近のZentral Saunaの東側。煙突が建てられ、屋根がルーフィングフェルトで覆われている。手前に見えるのはメルセデス170Vカブリオレ

 

f:id:hotelsekininsya:20200825184032j:plain

写真13[PMO neg. no. 20995/471]

1943年夏、東側。地下のブロイラーの煙突は、屋根のカバーと同様に完成している。50のシャワーがあり、5つの大きな窓から光が入る部屋では、作業が続けられている。

 

f:id:hotelsekininsya:20200825184107j:plain

写真15[PMO neg. no. 906]

解放当時のZentral Saunaの北側と西側、1945年春から夏にかけて。1944年9月のI.G.ファーベンインダストリーのブナ工場への米軍空襲後、建物はまだ緑と黄土色の迷彩色で覆われている。手前の有刺鉄線の向こうは「Graben L / 排水溝L」。 

 

f:id:hotelsekininsya:20200825184344j:plain
写真14[PMO neg. no. 20995/473 and 474]

1943年冬、Zentral Saunaの東側と南側の全景。外観の仕上げを行っているところ。屋根に雪がないことからもわかるように、建物全体が暖房されている。熱気による害虫駆除室は稼働している。

 

Page078

ZENTRAL SAUNAでの受付

f:id:hotelsekininsya:20200825233517j:plain

写真16[PMO neg. no. 20995/462]

カマンSS軍曹が建設管理のために制作した「アウシュビッツ建設管理部アルバム」とでも言うべき、ZENTRAL SAUNAの建設と運営を示す写真の紹介ページである。 タイトルは「Entwesungsanlage mit Effectenbaracken im K.G.L. / 捕虜収容所内の荷物物品建物にある熱気による害虫駆除設備」. 冒頭の写真は、清潔な側、つまり南側に3台のオートクレーブが並んでいる様子。

 

f:id:hotelsekininsya:20200825233934j:plain

写真17[PMO neg. no. 20995/479]

「Warte und Auskleideraum / 待合及び脱衣室」、北側。入口ドアに面して受付委員が座っている。親衛隊の写真家カマンが作業している間、Zentral Saunaを通過する囚人のグループは、すでに剪断室やシャワー室に入っていたと思われる。 

 

f:id:hotelsekininsya:20200825234537j:plain
写真20

「Untersuchungsraum /(医療)診察室」, iその前にある理容室から見える壁に書かれた文字。また、試験室から見える、シャワーの前にある「Brausen / シャワー」という3つ目の銘板も残っている。 

 

f:id:hotelsekininsya:20200825234903j:plain

写真19 

壁に書かれた文字は現在も残っている。「Haarschneideraum / 理髪室」、「Unreine Seite / 不潔な側」廊下の東側端のドアの上。 

 

f:id:hotelsekininsya:20200825234937j:plain

写真18

現在の待合室と脱衣所。配管とラジエターは取り外された。Zentral Saunaのすべての部屋に同様の加熱パイプがあったが、今は残っていない。 実際、見学者に見せるための「歴史」の中に、囚人が手厚く温められた建物と、彼らを絶滅させたクレマトリウムの跡(クレマトリウムⅣはZentral Saunaから100m)を共存させるのは、なかなか難しいことである。

 

Page079

ZENTRAL SAUNAの50個のシャワー

f:id:hotelsekininsya:20200825235332j:plain
写真21

シャワールームの5つの大きな窓の現状。上方には屋根のフェルトが残っている。 

 

写真22、23及び24

シャワー室の入り口にある浅い浴槽の3つの風景。水と青酸で満たされ、シャワーの直前に囚人の体毛が害虫駆除された。  

f:id:hotelsekininsya:20200826000021j:plain
写真22

 

f:id:hotelsekininsya:20200825235757j:plain
写真23

 

f:id:hotelsekininsya:20200825235942j:plain
写真24

以下の証言は、チェコの元囚人がPMO文書館長に宛てた手紙を翻案したもので、まだ正式には公開されていない。 

「シャワーの前と、持ち物の消毒の時に、囚人たちは消毒(害虫駆除)の処置を受けました。シャワー室の入り口のドアのすぐ内側には、小さなコンクリートの浴槽があり、そこにチクロンBの結晶を流し込んだ水、つまり青酸を混ぜた水が満たされていました。シャワーに来た囚人は、裸で頭を剃ってこの洗面器に入り、洗面器の横にいる別の者が、手袋で手を保護して、混合液を頭、腕の下、陰毛の上に流しました。」

この記録は、ミクローシュ・ニーシュリ博士の著書『Auschwitz: A doctor's eyewitness account(アウシュビッツ:ある医師の目撃談)』(Granada Books 1949年刊)の中のエピソードと関連して考えると興味深い。19章では、クレマトリウムⅡのガス室でのチクロンBの作用で生き残った思春期のユダヤ人少女の事例を挙げ、次のように説明している(92ページ)。 

たまたま、濡れたコンクリートの床に顔をつけて倒れていたのだ。チクロン・ガスは湿度の高いところでは反応しないので、その湿度のおかげで窒息せずにすんだのだ。

つまり、少女の顔の周りには、非常に湿った空気の小さなポケットがあったに違いないと、ニーシュリ博士は考えたのだ。そして、青酸は水に溶けやすいので、ガスは水蒸気に吸収され、彼女は他の犠牲者よりはるかに毒性の低い大気を吸ったのだ、と。もちろん、HCNを水に溶かしたものは、囚人の脱衣に使われたことや、ごく最近薬局で使われていた「ローリエセリーズ」の調合では、中毒を恐れてHCNの含有量を慎重に測定しなければならなかったことからもわかるように、強い毒性を持つことに変わりはない。

しかし、筆者の考えでは、この少女が生き残ったこと(それにもかかわらず、直後にSS隊員によって首の後ろに銃弾を受けて殺されたこと)は、別の説明がつくと思う。ニーシュリ博士は冒頭で、彼女が「巨大な部屋の入り口付近の壁際で」発見されたと述べている(89ページ)。偶然にも、彼女はガス室の低い位置にある空気抜きグリルに顔(唇と鼻)を押し付けたのだろう。周りの人がガスに倒れる中、彼女はまだ新鮮な空気がダクトに残っていて、ほぼ普通に呼吸ができていた。換気扇のスイッチを入れると、彼女は毒を十分に吸収して痙攣を起こし、その状態でゾンダーコマンドの隊員たちに発見され、ごく短時間だけ助かったのである。 

 

Page080

f:id:hotelsekininsya:20200826000952j:plain

写真25
[PMO neg. no. 20995/477] 

靴を担いだ囚人たちがシャワーを浴び、「Trockenraum.R.Seite/乾燥室、清潔な側」に入ろうとしている。50のシャワーのいくつかが見え、その設置は図面3084に示されているものに相当する。

 

f:id:hotelsekininsya:20200826001317j:plain
写真26

シャワールームの出口から乾燥室を見る。右側はSSによる囚人の「監視」が行われた開口部。

 

Page081

オートクレーブ

f:id:hotelsekininsya:20200826001719j:plain

写真27

ミュンヘンのメーカーが納入した3台の蒸気による害虫駆除用オートクレーブの不潔な北側の様子で、右から1、2、3の番号が付けられている。清潔な側と不潔な側を隔てる壁に組み込まれ、両側にドアが付いている。 

 

f:id:hotelsekininsya:20200826001941j:plain
写真28

不潔な側から見たオートクレーブ2。この写真では、オートクレーブを通して反対側を見ることができる。汚れた服はハンガーにかけられ、北側に引っ張られた台車に乗せられ、2本の短いレールの上に置かれた。蒸気の作用が終わると、クリーン側のオペレーターがドアを開け、トロリーを引き出して「殺菌」された衣類を取り出した。

 

f:id:hotelsekininsya:20200826002011j:plain
写真29

オートクレーブ 2 と 1 の北側扉の現在の様子。戦時中は北側にあるため、あまり光が入らず、不潔な側のドアはほとんど撮影されなかった。 
 

f:id:hotelsekininsya:20200826002240j:plain
写真30
[PMO neg. no. 20995/478]

乾燥室と待合室・着衣室を結ぶ南側の清潔な側の廊下。左側には、柱と分離用手すりの後ろに、のぞき穴のあるトプフの熱気による害虫駆除室の1つの扉と、南側のオートクレーブ1および3が見えている。 

 

Page082

f:id:hotelsekininsya:20200826002329j:plain

写真31[PMO neg. no.20995/476]  

オートクレーブ3台のバッテリー、南側、清潔な側はメーカー銘板の上に左から1、2、3と番号が振られている。蒸気はオートクレーブの上にある明るい色のパイプから届いた。 地下のボイラーから出た可能性が高い。暗い色のパイプは、圧力容器と温水タンクをつないでいた。オートクレーブ終了時には、電動モーターで蒸気を素早く排出することができる(各オートクレーブの左側)。オートクレーブ1の扉には(写真31、35)、圧力と温度を示す2つのゲージがある。テーブルの上(写真35)には、囚人が手術報告書を記入しており、滅菌サイクルを計るための時計が置いてある。オートクレーブがガス室であったと考える人のために指摘しておくと、写真31と35では手元にガスマスクがなく、誰もガスマスクをつけていない。各オートクレーブの前にある2本の短いレールは、蒸気によって害虫駆除するものを載せた台車を受けるためのものである。

 

f:id:hotelsekininsya:20200826002702j:plain
写真32

 

f:id:hotelsekininsya:20200826002745j:plain
写真33

写真32と33

オートクレーブの現状、南側、扉は閉じた状態(写真32)と開いた状態(写真33)。まだ衣服のトロッコが入っている。屋根が落ちたときに破損したまま交換されなかったためか、すべての補器類がなくなっている。写真33 の左手前には、1945 年以降の水位上昇により、熱気による害虫駆除オーブンと地下に浸水した水を汲み上げるためのパイプがある。

 

f:id:hotelsekininsya:20200826002930j:plain

写真34

オートクレーブ2、扉半開き、現状、南側(北側は写真28参照)。

 

Page083

f:id:hotelsekininsya:20200826003042j:plain

写真35
[PMO neg. no 20995/475]  
オートクレーブ 1 とトプフの熱気による害虫駆除チャンバー4から荷物を回収している様子。この写真は、チェコの元囚人からの手紙の裏付けとなる利点がある。コートは熱気で害虫駆除され、第4室から出てきたトロリーがコートを運んでいるとのことであった。オートクレーブ1の反対側、写真の左隅には、ボロボロの毛布と思われるものが山積みになっている。これは、蒸気で害虫駆除する「軽度」に分類されるものである。 

 

f:id:hotelsekininsya:20200826003449j:plain

写真36:  
トプフの図面D. 60283に記載されている送風機用モーターを収納していたレンガの凹みの現状。戦後解体され、写真35にコントロールスイッチとともに写っている。

Zentral Saunaには少なくとも11個の電気モーターがあり、その総電力は15.0kWであった。

 

Page084

トプフの熱気による害虫駆除オーブンまたはチャンバー

f:id:hotelsekininsya:20200826003735j:plain
写真37

 

f:id:hotelsekininsya:20200826003819j:plain
写真38

写真37と38

第3、4の熱気による害虫駆除室、清潔な側にある出口扉の現状、透視図、接写図。第3室には、まだ衣料用台車がある。左側の木の棒の下には、オーブン2と3の炉心にアクセスするための焚き口がある。

 

f:id:hotelsekininsya:20200826004002j:plain
写真39:

台車2台が一度に入る熱気による害虫駆除チャンバー1の現状。

 

f:id:hotelsekininsya:20200826004059j:plain
写真40
熱気による害虫駆除チャンバー4の現状、扉を外して内部を見ることができる。

 

Page085

f:id:hotelsekininsya:20200826004229j:plain

写真41:

[PMO neg. no. 20995/480]    

熱気による害虫駆除室(おそらく3、4)の清潔な側の出口ドア、トロリーロードの衣類が取り出されている。ドアの覗き穴は、フラップを上げてキャッチでふさぐことで閉じることができた。これはおそらく、害虫駆除のサイクルが終了し、換気扇のスイッチが入ると同時に新鮮な空気が入るように開けられたのだろう。「著名な」囚人のために用意された良質の毛布は、「重い」と分類されていたようで、それゆえ熱風で消毒された(トロッコの上に1枚見える)。左上、換気扇のスイッチがある。

 

f:id:hotelsekininsya:20200826004434j:plain
写真42

 

f:id:hotelsekininsya:20200826004634j:plain
写真43

写真42と43:   
Zentral Saunaに放置されていたトプフの熱気による害虫駆除室の一つ、二重扉の半分の現状、外観(写真42)と内部(写真43)。 写真43は、木枠に丈夫な段ボールを被せ、金属で面を作った粗製乱造品(写真42)である。