PART TWO CHAPTER 6 クレマトリエンⅡ及びⅢの換気システム

 この資料は、ジャン・クロード・プレサックによる『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』を翻訳したものです。

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 目次 - アウシュビッツ ガス室の技術と操作 J-C・プレサック著

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CHAPTER 6 クレマトリエンⅡ及びⅢの換気システム

クレマトリウムII・IIIの換気システムを説明するために著者が行った研究の記録

この章では、他の章で採用された方法、つまり、あるテーマについて文書を作成し、それからコメントと結論を出すという方法は採用しないことにする。クレマトリエンⅡとIIIの換気装置に関する問題は、1979年当時知られていたこと、考えられていたこと、私の疑問、かなり長い調査、私の発見、そして、1982年にBW30/41ファイルから発見した、アウシュヴィッツに滞在して、1943年1月5日から6月9日のあいだビルケナウのクレマティアンⅡとIIIのすべての換気装置を設置したトプフ&サンズ社修理工メッシングの「ARBEITSZEITBESCHEINIGUNGEN」(タイムシート)を含めて説明されることになるであろう。彼は、3月4日にクレマトリウムⅡで1500名のクラクフユダヤ人に行なわれた最初のガス処刑の結果を直接観察することができた数少ない「外部」民間人の一人であった。彼のタイムシートには、Leichenkeller(死体安置所)の「異常な」使用を明らかにする7つの「伝票」があり、これによって、他の2つの孤立した言及が説明できるようになった。この説明に関連する文書は、その進行に応じて作成される。

40年前から、II/III型のクレマトリエンにおける換気の問題は、明白であり、よく知られていると思われていた。地下のガス室への新鮮な空気の供給と排気システムに関するものであった。クレマトリウムⅡの建設管理部の図面には、「Leichenkeller l」または 「L Keller 1」と指定された部屋が換気されていることが示されている。ゾンダーコマンドの元メンバーの証言は、クレマトリエンⅡとIIIのLeichenkeller Iが殺人ガス室として使われたと主張しており、SS関係者からの二つの書簡は、「Vergasungskeller」とされた地下室の一つがガス気密ドアを備えていたことを示唆しているので、この換気システムが建設管理部の図面に登場していることは、明らかに計画的であったといえるだろう。

この点が極めて重要視されていることは、 ジョルジュ・ウェラーズの著書『Les chambres à gaz ont existé(ガス室は存在した)』に特に現れており、その表紙[資料1]は、将来のクレマトリウムⅡのLeichenkeller 1の断面図を含む図面1174[資料4]の一部で、上下の換気ダクトが示されている。これは、ジョルジュ・ウェラーズの目には、この証拠の価値が映っているのだろう。写真8[資料2]は、「換気ダクト」に言及した表紙イラストを再現したものである。 彼の写真9[資料3]は、Leichenkeller 1と2の断面図(図面934[資料5]から引用)で、L-Keller 1には換気(吸気)があるが、2にはないことを観察している。最後に、ウェラーズは次のように結論している(90ページ)。

「地下室1」は「地下室2」ほど長くはないこと、そして何よりも[下線部]。死体安置室2」にはそのような設備がないのに対して、断面図に完全に見える、名前のついた換気・空気抽出システムが備えられていること[下線部]。

この主張は、アウシュビッツ博物館が提唱し、「フォーリソン裁判」の際にLICRA側の弁護人が用いたものである。彼らは歴史家ではなく、博物館が提供し、ジョルジュ・ウェラーズが確認した解釈を繰り返しただけなので、何の罪もない。

真実は、この実証はまったく誤りであり、それゆえ、換気(吸気)装置に基づいて、Leichenkeller 1がガス室として犯罪的に使われた「計画性」を証明しようとしても、まったく根拠がないのである。

クレマトリエンIIとIIIでは、「THE PATHS TAKEN BY ME DIFFERENT VENTILATION DUCTS(換気ダクトの経路の違い)」の確立に長い間取り組んだ。散在する証拠をもとに、論理的に説明するのに2年ほどかかったが、もし私がPMOファイルBW30/41の存在を知っていたら、それを読むのにかかった25分の時間だけで、暗闇の中で手探りする手間が省けたはずである。しかし、このファイルは、私の仕事の成果を十分に確認するものであった。

1979年末、博物館アーカイブスの図面932を参照したところ、クレマトリウムIIとなる予定のクレマトリウムの地下を表す図面があった。私は、Leichenkeller 1にガス室を設置することの技術的実現性に疑問を呈した。なぜなら、その入り口は二重扉になっており、Leichenkeller 2(脱衣室)とLeichenkeller 1(ガス室)の間の通路は、コンクリート製の死体シュートがLeichenkeller 1の二重扉まで続いていて、一部妨害されたからである。記録係は、2つのLeichenkellerの断面図である図面933、934、1174に、換気に関して大きな違いがあることを指摘している-L Keller 1にはあり、2にはない-この違いは、彼によると、Leichenkeller 1がガス室であり、そのように計画されていたことの反論できない証拠であった。当時、彼の実証は有効であると思われ、私はそれを信じた。

しかし、ビルケナウ・クレマトリウムに関連するすべての図面の研究を終えたとき、彼の断定的な発言は、それらのうちのいくつかの図面の私の解釈と合わなくなり、ファイルBW 30/34(マイクロフィルム1060)のいくつかの項目とは、さらに合わなくなったのである。1943年2月3日のメッシングからのメモには、Leichenkeller 2用の空気抽出ファン[Abluftgeblase / 排気ブロワーを使う]のことが書かれていた[資料6]。1943年2月11日の建設管理部長のビショフの署名入り書簡には、Leichenkeller 2の換気扇用の7.5馬力のモーターについて書かれている[資料7]。1943年2月12日のトプフ&サンズからの書簡[資料7a]は、Leichenkeller 2用の換気扇について、ビショフと同じ用語を用いている。

未来のクレマトリウムⅡの屋根の骨組みの図面980[資料8]には、2本の換気用煙突の位置が示されている。左側のかなり離れたところにあるのが、Leichenkeller 1の新鮮な空気の取り入れ口である。右側のもう1つは、このLeichenkeller Iの有害な空気を排出するためのもので、4つの出口がある。1つの出口はそのためのものだが、他の3つの出口の用途は不明であった。しかし、博物館の記録係の主張は、BW 30/34の文書にもかかわらず、Leichenkeller 2の換気扇のモーターについての言及は、それが実際に設置されたという証拠にはならないから、まだ受け入れられる......というものだった。

偶然見た5分間のテレビ番組がきっかけで、元モノヴィッツの囚人と一緒に、プロのアーティストで元ゾンダーコマンド隊員、ビルケナウの世界をキャンバスに表現するダビッド・オレール氏と会うことになった。私はクレマトリエンの図面を持って行って、彼に問い詰めたが、彼はそれを見ようとはしなかった。これには理由があった。その正確さゆえに、1943年から1945年まで彼が暮らした地獄のような環境に対する、彼の個人的で残留的なビジョンを邪魔していたのだ。その反射的な行動も無理からぬことであった。その一方で、自分から進んで話をすることもあった。そして、その言葉を裏付けるように、彼は絵を描き、特に強制移送から帰国した直後の1945年から46年にかけて制作された「Memento」の絵を発表した。しかし、Mementoには60〜70枚の原画があり、ほとんど空っぽの状態であったため、あまり多くのものを見せることができなかった。そのうちの90%は、ミリアム・ノビッチ夫人が企画したイスラエルでの展覧会に貸し出されたもので、夫人が作者や持ち主に返すことはなかった。

ダヴィッド・オレール氏が語ったあるエピソードを信じることは難しいが、クレマトリウムIIまたはIIIの5つの3つのマッフル炉の正面の図面には興味を引かれた。各炉の右側には、基幹収容所の旧クレマトリウムの3号炉に設置されていたものと同じパルスエアーの部品が描かれていた。 私は、このあまり知られていないクレマトリエン2と2の炉の設備の詳細についてまだ確認していなかったのだが、その後、ニーシュリ博士の著書『Auschwitz: a doctor’s eyewitness account(アウシュヴィッツ:ある医師の目撃証言)』[第Ⅶ章45頁]にそのことが書かれており、その巻末に、パルス式空気送風機のある3マッフル炉の作動方法が再現されていたので、これを補強することができた。ヘス裁判の第11巻にも同じ文書があるが、これは旧クレマトリウムの新しい(3番目の)2マッフル炉について提供されたものである。ダヴィッド・オレールは、自分の絵の「喪失」を嘆きながら、LICA(LICRAの旧名)の機関誌を作り、クレマトリウムIIIの平面図、収容所に戻る囚人たち、クレマトリウムIIまたはIIIの脱衣所の一つ(実際にはクレマトリウムIIIのLeichenkeller 2)の風景の3作品を再現している。部屋の左上に大きな黒い筒があり、その先端に格子のついた2本の小さな筒が下向きに突き出ていた[資料l3]。他の情報源から疑われていたこれらの未知の細部の発見は、まず第一に、彼の宣言のいくつかが信憑性の限界に達していたとしても、私が相手にしていたのはストーリーテラーではなかったこと、第二に、私が知っている写真の証拠から、彼の図面はこの早い時期に本物で、細部まで非常に忠実だったこと、最後に、空気取り出しシステム(ダヴィッド・オレールが指摘した詳細)がクレマトリエンII、III両方のLeichenkeller 2に存在したことを証明してくれたのである。

 

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資料1:

ジョルジュ・ウェラーズ著、『Les chambres à gaz ont existé(ガス室は存在した)』、NRF Gallimard, Paris 1981の表紙。 建設管理部図面1174の断片。将来のクレマトリウムIIのLeichenkeller 1の吸気と排気ダクトを示す。

 

資料2:

[ウェラーズ本の写真8]図面1174の断片、将来のクレマトリウムⅡの南立面、Leichenkeller 1の断面図。

注釈の翻訳

  1. クレマトリウムの立面図。手前は地下室の断面図。側面に換気ダクトが見える。
  2. 2つの「死体置き場」の断面図。
    図面の両側にある空気取り出しダクト(Entlüftungskanal)に注目してほしい。その上に、同じく両側に、換気ダクト(Belüftung)がある。端にあるのは入口のドアである。第二の「死体貯蔵庫」(「脱衣室」)には、換気ダクトも空気抽出ダクトもない。

 

資料3:

[ウェラーズ本の写真9] クレマトリウム計画(将来のクレマトリウムII)の建設管理部図面934の断片で、Leichenkeller 1(上)とLeichenkeller 2(下)の断面図を示している。 

 

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資料4:
[PMO neg. nos 17812 and 20818/9]

[BW 30/08] 1942年1月15日の図面1173と1174。Entwurf für das Krematorium / 計画された火葬場。       
1173:      Längsschnitt durch den unterkellerten Teil / 地下部分の縦断面
1174:      [Süd] Schnitt durch Leichenkeller 1 mit Be- und Entlüftungskanälen / [南側] 換気と空気抽出のダクトがあるLeichenkeller 1の部分。 

図面内の文字の翻訳:(左から右へ)

図面1173:

  • Erdanschüttung / 土手  
  • Vorlage / ハードフィル 
  • Gewachsener Boden / 土壌 
  • Absetzgrube / 排水
  • Rutsche / [ 死体] シュート 
  • Belüftung / 換気(吸気)
  • Unterzug / クロスビーム
  • Eisenbeton - Bohlendecke / 鉄筋コンクリート造の屋根梁 
  • Aufzug / [死体]リフト 
  • Entlüftung / 排気
  • Entlüftungskanal / 排気ダクト 
  • Verbrennungsraum / 焼却室[炉室] 
  • Betonboden m[it] Glattstr[ich] / 平滑スクリード付きコンクリート
  • Vorlage 18cm HGH [?] / 18cm ハードフィル... 

図面1174:

  • Anschüttung / 土手 
  • Belüftungskanal vom Dachgeschoss / 屋上からの換気(吸気)ダクト
  • Entlüftungskanal - Verbindung [unter ? N.G. Fussboden] / 排気ダクト接合部 [新しい床面の下?] 
  • Belüftungskanal - Verbindung / 換気ダクトの接合部 
  • Entlüftungskanal zum Dachgeshoss / 屋上スペースへの排気ダクト 
  • Neue Geländehöhe / 新グラウンドレベル  
  • Gewachsener Boden / 土壌 
  • KREMATORIUM – Zutritt verboten / CREMATORIUM - 立ち入り禁止。 

 

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資料5:
[PMO neg. nos 6228, 17809 and 20818/6]

図面934、縮尺1:100
1942年1月27日にウルマーSS軍曹が描いたものをデジャコSS少尉がチェックし、1942年1月28日にビショフSS大尉が承認した。

Entwurf für das Krematorium / クレマトリウム・プロジェクト
Schnitt durch Leichenkeller 1, Leichenkeller 2 / 死体安置所1、2の断面図。      

図面内の文字の翻訳
(左から右へ)

煙突と炉室部分:

  • Firsthöhe / リッジ高
  • Traufhöhe / 側溝高さ 
  • Fenstersturzh / 窓のまぐさの高さ
  • Fensterbankh / 窓枠の高さ
  • Sockelhöhe / ベース高  
  • Sockel-Obnerschl. Sandstein / 下地砂岩 
  • Gewachsener Boden / 土壌 
  • Dachdeckung-Ziegel / 瓦葺き 
  • Eisenbeton-Hohlkörperdecke / 鉄筋コンクリートと中空ブロックの天井
  • Betonboden m. Glattstr. / スムーススクリード付きコンクリート床 
  • Vorlage them HGH [?] / 18mm ハードフィル  
  • Lehmschlag / 粘土ベース 
  • Erdanschüttung / 土手 
  • Entlüftungskanal / 排気ダクト 
  • Ofen / 炉
  • Pfeilerfundamente / 柱状節理 
  • Rauchkanal 0.70 x0.60 / 煙道
  • Türenhöhe! / ドアの高さ
  • Saugzuganlage / 吸引式強制通風設置
  • Schornsteinfundamente [Nach Baden Belast[un]gsprobe] / 煙突の基礎[地盤強度試験後]
  • Rauchkanal-Schieber / 煙道ダンパー
  • 3 Züge 0.80 x 1.20 / 煙道
  • Schornstein / 煙突
  • Schornstein-Verwahrung / 煙突フラッシング
  • Müllerverbrennungsofen / ゴミ焼却炉
  • Betonboden m. Glattstr. / 平滑スクリード付きコンクリート
  • Vorlage 20cm HGII [?] / 20cm ハードフィル
  • Türen- und Fensterumrahmungen - Oberschl. Sandstein! / ドアや窓枠に砂岩を使用。 
  • Gewachsener Boden / 土壌

Leichenkeller I

  • Entlüftungskanal / 空気排出用ダクト 
  • Senkrechte Isolierung / 垂直防湿 
  • Isol[ierung] /防湿処理
  • Belüftung / 換気
  • Erdaufschüttung / 土手 
  • Kies / 砂利
  • Wasserdichte Abdeckung / 防水カバー 
  • Betonboden mit Glattstrich 14cm Stk / コンクリート床、スムーススクリード14cm
  • Pfeilerfundamente 150 x 150 x 060 Tief / ピラーベース 150×150×奥行060mm
  • Erdanschüttung / 土手  
  • Gewachsener Boden / 土壌

Leichenkeller 2
(上記の同じ文字翻訳は繰り返さない)

  • Abwasserkanal / 下水 
  • Senkrechte Isolierung / 垂直防湿
  • Erdaufsehüttung / 土手 
  • Kies / 砂利
  • Wasserdichte Abdeckung / 防水カバー 
  • Betonboden mit Glattstrich 14cm Stk / コンクリート床、スムーススクリード14cm
  • Erdanschüttung / 土手  

 

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同じ頃、博物館から、解放時にアウシュヴィッツの「バウホフ」(新しい建材や再生建材が保管されていた場所)で発見された、他の識別情報のない「換気ダクト」の写真4枚[資料9、10、11、12]が送られてきていた。1944年12月に 「Abbruchkommando」(解体部隊)によって解体され、1946年にオレールが記憶を頼りに描いたクレマトリエンIIのLeichenkeller 2の排気システムの部品は、特に千里眼を必要としなかった。実は、この4枚の写真は、作家を訪ねる前に、すでに美術館で見ていたのである。このダクトは、クレマトリウムの換気システムに起因するもので、その長さから脱衣所(長さ50m)から出たものだと思いたいが、当時は単なる憶測に過ぎなかった。しかし、ダヴィッド・オレールがその機能を教えてくれ、彼の描いた絵がその存在を証明してくれた。あとは、具体的な痕跡を見つけるだけだ......

アウシュビッツに滞在していたとき、私はいつものようにクレマトリウムの廃墟をひたすら歩き回り、そのたびに新しい文献に触れては新しいことを学んでいた。クレマトリウムⅡの跡地にある雑草に隠れた穴に、突然足が入ったのである。ビルケナウの廃墟の片付けや草取りは、実はとても散発的な仕事なのだ。きれいに整地しても、数ヵ月後には雑草に覆われていることもある。この穴[資料14~18]は直径約25cmの円形で、Leichenkeller 1と2の接合部、地下の図面に「Vorraum(控室)」として示されている空間の上部にあった。ダヴィッド・オレール氏が描いたエアダクトと「バウホフ」のものは、実質的に同じ断面であった。オレールの絵のように、ある種の「芸術的な許可」が許されるのとは違い、ダクトは「Vorraum」の中でしか他の人に加わることができなかったのである。この穴は、私を廃墟に落下させ、その事実を立証したのであり、落下したにもかかわらず、私は十二分に満足したのである。しかし、この開口部がVorraumの天井なのか、1階のWaschraum(洗面所)の天井なのかは、遺跡の由来を特定することが困難なため、何とも言えない。これまでのところ、クレマトリウムIIIの同様の証拠は見つかっていない。

ダヴィッド・オレールによるクレマトリウムIIIの脱衣所の図面、クレマトリウムIIの廃墟で発見された円形の開口部、建設管理部とトプフの間の書簡に見られる短い記述に照らしてみると、クレマトリウムIIIの脱衣所とクレマトリウムIIIの脱衣所は、同じようなものであると考えられる。図面933、934、1174にあるように、Leichenkeller Iは換気装置を備えていたので(換気装置を備えていなかったLeichenkeller 2とは違って)、クレマトリエンIIとIlのLeichenkeller Iが犯罪目的のために特別に計画されたという主張を支持することはもはや不可能である。Leichenkeller 1と2は両方とも排気装置を持っていたので、どちらかがガス処刑に使われた可能性があり、この可能性は当初(1943年第1四半期)SSによって検討されたが、ビルケナウ・クレマトリウムのガス室全体の容量がすでに十分すぎるほどだったので、放棄されたと私は考えている。

以前は説明のつかなかった3つの主換気煙突の出口のうち、2つはまだ定義されていないままであった。SSによってダイナマイトで破壊されたクレマトリウムIII[資料19-22]の廃墟では、屋根空間の床が、炉の部屋であった場所に崩れ落ちている。5つの炉の配置の上に、等距離にある5つの長方形の開口部を見ることができ、1つの炉に1つの開口部がある。

図面934[資料5]は、左側に見えるクレマトリウムⅡの南北の断面で、「Entlüftungskanal」(排気ダクト)が屋根空間の床に沿って東西に走り、稼働中の炉から発生する熱風を除去していたことを示している。

ダヴィッド・オレールによるクレマトリウムIIIの炉室の図面[PartⅡ Chapter5、資料87参照]にも、炉の上の天井に吸気口があるが、1炉につき3つの開口部であることがわかる。吸気口の数はおそらく芸術的想像力によると思われるが、その他の構成については、1943年2月か3月に撮影されたクレマトリウムⅡの炉室の建設管理部写真[資料23]が、ダヴィッド・オレールの「記念スナップ」の正確さと炉ごとに一つの開口部があることを裏付けている。この排気システムがなければ、炉室の空気環境はたちまち耐えられなくなるところだった。この熱気を排出するために、換気用の主煙突にダクトがつながっていた。


資料6

[PMO File BW 30/34, Microfilm No. 1070. page 97] 

トプフ&サンの組み立て工、メッシングからの手書きのメモ。[行の下線] 「Leichenkeller II(脱衣所)用の空気抽出機ブロワーNo.550」について言及している。

BW 30

CセラーI用450号送風機、吸込・圧力接続部[および]調整弁付き。

Cセラー2用排気ブロワーNo.550、吸引および圧力接続、調整弁付き。 

炉室用空気抽出ブロワーNo.550、圧力接続付き。 

吸引・加圧接続 375ファン 解剖・洗浄・整列室用。

Cセラー用木製調整弁 I. 

メッシング  

/鉛筆で書かれている。シュルツ

1943年2月3日に電報で命令された [イニシャル] キルシュネック。  

 

Page360

COPY

1943年2月11日

22957/43/Jäh/Pa.  
 
件名: クレマトリウムIII - 捕虜収容所 - アウシュヴィッツ - 上部シレジア 
リファレンス:43年2月10日20時5分のアウシュビッツ中央建設管理からの電報。
同梱:---
 
J.A. トプフ・ウント・ゼーネ社
エンジニアリング事業部

エアフルト
Dreysestraße 7/9

上記の電報は、2基の常設死体運搬機と1基の仮設死体運搬機を含む機械設備一式を迅速に納入し、さらに石炭運搬と灰除去のための実用的な設備を納入するよう、すでに出された命令を再度確認したものである。このように、貴社はK IIIの設備一式を供給し、設置する必要がある。あとは、機械部品がすぐに製造され、現地に派遣されるよう、万全を期すことを信じている。

1943年4月10日までに完全な設備を稼働させることが肝要である。

中央建設管理部は、この期限を守ることで、捕虜収容所のクレマトリウムⅡの炉の納品というテーマで、約束を守らず、事実に即していない多くの文書を発行するという、契約不履行を補うことを期待する。したがって、貴社は1943年1月21日に、換気と空気抽出のためのすべての材料は1943年1月22日に送られると書いている。貨物車が到着したとき、これらの部品が欠けていたため、組み立て工のメッシングは続けることができなかった。電話では、プリュファー氏が「資材は全部送った」と言っていた。さらに何度も問い合わせをしたところ、別の担当者から「残りの資材はまだ完成していない」と言われた。そして、完成した資材はようやく倉庫に並んだはずだった。さて、1943年2月6日付の荷札が届いたが、これを調べ、フィッターと話し合った結果、やはり3.5馬力のモーターを持つ450号ブロワーが足りないようである。 そして、このC-cellar(Leichenkeller) I用の送風機こそ、私たちが最も必要としているものなのだ。また、Cセラー2用のNo.550空気抽出ブロワー用の7.5HPのモーターも。

そこで、もう一度電報を打った。「1943年2月6日付けの送付通知書に記載されていないC-cellar I用の送風機450と3.5 HPモーター、C-cellar II用の空気抽出用送風機No 550 7.5 HPモーターを直ちに送付せよ、さもなければこの設備を使用開始することは不可能である。電信で返信せよ。」

このような貴社の怠慢により、中央建設管理は最大の困難に直面している。従って、不足の資材を直ちに特急で発送していただき、なんとか設置が完了するようお願いする。 
 
アウシュヴィッツ武装親衛隊および警察中央建設管理部の責任者
[署名]ビショフ
SS-大尉
 
配布先:  
 
1  民間専門家・イェーリング
SS-ヤニシュ少尉
1 SS-キルシュネック少尉
1 記録(ファイル BW 30 Crematorium)

F.d.R.d.A. [ファイル用]
署名
SS-少尉 (S [専門家])

(手書き) F.d.R.d.A.
ポロックSS-少尉

 

資料7

資料7:    
BW 30/34の87ページの裏面、ビショフの署名入りでトプフに宛てた1942年2月11日の手紙、「さらにLeichenkeller II用の空気抽出機ブロワーNo.550用の7.5 HFモーターも失われている」(赤の下線部)。 

Page361

資料7a:
[P.M.O., BW 30/34, page 84]  

COPY

J. A. トプフ・ウント・ゼーネ

エアフルト1943年2月12日
受信1943年2月14日

To the
武装親衛隊および警察
中央建設管理部
アウシュヴィッツ

件名:捕虜収容所のクレマトリウムⅡ及びⅢ

セクションD IV
プリュファー

10日付けの電報を受け取りました。

「捕虜収容所のクレマトリウムIII(3マッフル炉5基)については、すでに確定していた機械設備一式の受注に加え、2基の常設死体搬送装置と1基の仮設死体搬送装置を迅速に納入し、石炭搬送と灰除去の実用設備も再度確定した。このように、貴社はK IIIのインストール一式を供給し、装着することになる。我々は今、機械部品が直ちに製造され、現地に発送されることを確実にするために、すべてが行われることを信じている。1943年4月10日までに完全な設備を稼動させることが肝要である。手紙は以下の通り。」

なお、プリュファー技師長と合意した3マッフル炉5基の納入は、3月20日に必ず行われる予定です。電動昇降機2台とデマグの物品昇降機については、今後、契約内容を確認する予定です。

石炭の搬入と灰の除去については、今月15日(月)の午後に現地入りするプリュファー氏が、適切な提案と見積もりを持って来てくれるでしょう。

また、11日付の電報を受領したことを確認しました。

「1943年2月6日の荷札に記載されていないC-cellar I用の3.5 HPモーター付き450ブロワーとC-cellar II用の空気抽出ブロワー550の7.5 HPモーターを直ちに送って欲しい、さもなければこの設備を使用することができない」で、この件に関して述べます。450号ブロワは42年11月8日に、450号[誤り:550号です]ブロワ(木製)は43年1月25日に発送されました。この7.5馬力のモーターがまだ足りず、仕入先に電話や電報でいろいろとお願いしています。そこで、同じ回転数のI0HPモーターを特急便でお送りすることにしましたので、お届けまでお待ちください。 このモーターは後から交換することができます。 モーターがないことで、使用開始が遅れることのないよう、このような判断に至りました。

ハイル・ヒトラー
J. A. トプフ・ウント・ゼーネ
二つの署名 

[手書き]: 検証済みヤニシュ
オリジナルレターに関する備考:
フィッターのメッシングによると、これは送られたものではなく、ブロアーNo.375であった。イェーリングのサイン、1943年2月14日。 
 
配布先:
1 SS少尉ヤニシュ
1 SS少尉キルシュネック
1 民間雇用者イェーリング

 

Page362

資料8:
[PMO neg. no. 20922/1]

図面980。縮尺1:100。
1942年2月3日にウルマーSS曹長が描き、デジャコSS少尉がチェックし、2月7日にビショフSS大尉が承認した。

Entwurf für das Krematorium / クレマトリウムプロジェクト
Werksatz / 屋根のフレーム

図面内の文字の翻訳

  • Kaminverwahrung / 煙突のフラッシング[六連炉の集合煙突の下に刻まれた]  
  • Sämtlich eingeschriebene Masse sind Rohbaumasse und sind vor Baubeginn zu überprüfen. Unstimmigkeiten sind sofort zu melden! / 記載されている寸法はすべて未加工の数値ですので、作業開始前に必ずご確認ください。万一、不一致があった場合は、直ちに報告してください。    

右下の数字。7015/IVは、この図面が民間の事業であるカトヴィッツのフータ社に伝えられ、彼ら自身の参照番号が付けられたことを証明し、この図面が「秘密」でないことを証明するものである。    

 

Page363

資料9

 

資料10


資料11

 

資料12

資料9、10、11、12に関する備考
[PMO neg. nos. 893 to 896]

アウシュビッツ・ノート特集号「犯罪の悪夢の中で」(アウシュビッツで見つかったゾンダーコマンドの囚人たちのノート)、PMO1973年、120ページと122ページに著者不明の次のような記載がある。

「本日、1944年11月25日、ヒムラーは、26日に残りのクレマトリウムの解体を命じたと考えられている。クレマトリウムⅡの解体が開始され、次に解体されるのは火葬場Ⅲである。興味深いのは、まず、換気モータ [den gegen ventilatonischen Motor / the air extraction motor] ーとパイプ[airducts] が解体され、マウトハウゼンやグロスローゼンに送られたことである。クレマトリアⅣとⅤにはその種の機械設備がまったくなかったので、これらの収容所の地形にユダヤ人絶滅のための同一の地点が設けられるのではないかという疑念が生じた...」

実は、この解体の理由は、作者不明の理由とは別のところにあるようだ。虐殺の痕跡を消したいという願望と、壊滅的な軍事状況を考慮し、金属を回収する緊急の必要性があった。しかも、この証人が述べた換気システムの説明は、脱衣所だけに適用されるものである。

ヘンリク・タウバーは、解体は1944年秋[11月末]に開始され、解体された部品は駅に運ばれて出荷され、材料の一部はアウシュヴィッツI「バウホフ」に捨てられて、1945年に無傷で発見されたと述べている。彼は、「換気システムの一部」を認識した。これは脱衣室のものであり、クレマトリエンⅡとIIIのガス室は別の設計であったからである。

この二人の証人は、SSが1944年11月末に、クレマトリエンⅡとIIIのLeichenkeller 2の換気装置を解体させたことを示している。これは、システムが本当に設置されていたことを証明するものである。 

 

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ただ、一番小さな換気口だけは、まだ説明が必要だった。幸いなことに、建設管理部にはその要件が正確に記述されていた。1941年10月22日の書簡[資料24]は、ビショフとプリュファー[トプフの主任技師]が、将来のクレマトリウムIIとIIIの原型となる、ビルケナウではなく捕虜収容所に、新しいクレマトリアを建設する計画について話したことを述べており、「二つの死体室、解剖室、炉の部屋に空気抽出装置を設置」すると述べている。そのため、最後の吹き出し口は解剖室の換気口とした。実際、メッシング[資料6と彼のタイムシート、資料27]によると、この換気口は解剖室と洗浄・整列室の両方に使われており、実際には、追加の死体安置所、小口径ピストルで「人を倒す」ための場所として組織的に使われていたのである。

こうして、クレマトリエンIIとIIIの換気システムはすべて明確に定義された。あとは、ブロワーモーターの位置を確認し、私の推測が正しいことを確認するだけである。

2年間のバラバラで難しい研究は、資料25のシンプルな模式図に集約される。これはおそらく決定的なものだろう。1983年11月にEditions du Seuilから出版されたフランス語版『Album d'Auschwitz(アウシュビッツ・アルバム)』の編集中、私は特にクレマトリウムII、III、IV、Vに関する附属書の責任者であった。そこで提案したクレマトリウムIIIの説明写真[資料26]では、ガス室と炉室の換気口が資料25に対して反転している。煙突と排出ダクトが近いという理由で、そのような配置にしたのである。炉室からの熱風ダクトは、最も近い出口に取り付けられていた。資料25の図では、換気する部屋の容積に対して、吹出口とそれに付随するダクトの断面を考慮したが、これは換気扇のモーターの大きさが異なる場合の配置の原則にもなっている。関係する部屋の容積を大きいものから順に並べると、炉の部屋は次のようになる。脱衣室:ガス室、解剖室、洗浄室、敷設室。アウトレットの幅はすべて50cmですが、長さが84cm、80cm、70cm、30cmと異なっており、どのアウトレットがどの部屋に対応しているかがわかる分類になっている。Leichenkeller I/ガス室の排出ダクトは、地下部分と建物の外部では50×50の均一な断面であるが、2つの下部避難ダクトの接合部で70×50に変わり、クレマトリウムを通過して70×50の出口までずっと同じ断面が保たれている。この追加証拠は、資料25に示されたレイアウトを補強するものである。

1983年10月末、アウシュヴィッツ博物館の文書館への最後の訪問になると思っていたとき、クレマトリウムに関するほとんどすべての既知の文書についての調査を終えた私は、さまざまな滞在の過程で友人になった文書館員タデウスイワシュコに、「本当に」彼の文書館を訪問させてくれるように頼んだ。書類は通常、事務所の隣の部屋で相談し、依頼があれば持ってきて、調べたら持ち帰る。保管されている場所を見たかった。私のリクエストに応えてくれた彼は、アーカイブズサービスが設置されている24ブロックの1階には、強制収容所時代の収容所売春宿があったと説明してくれた。寵愛を受けた囚人、著名人、カポ、フォラルバイター(棒芯)など、あらゆる種類の人々が、チケットやさまざまなプレゼントを通じてアクセスし、「組織」していたのである。数分間、彼らはこの「職業」を強制的に行使させられた女性囚人パートナーとの七不思議の一片を許されたのだ。会合は6つの小部屋で行われ、ドアには覗き穴があり、この「家」を円滑に運営するSSが様子を見ることができた。


資料13:
[PMO microfilm 205/44] 

ダヴィッド・オレールによる1946年のスケッチで、『Le Droit de Vivre.([生きる権利])』に掲載されたもの。1964年2月15日付、31年目のLICAジャーナル、第316号、3ページ。「クレマトリウムIIIの脱衣室」[西から東の図]。

左上はLiechenkeller 2の空気取り出しダクト。吸気口はこの図面よりもっとたくさんあるはずだ。ダクトは図のように左端の天井を通らず、部屋の西側の入り口まで伸びていた。一番奥で「Vorraum」(前庭)に至り、垂直に上昇して他の空気抽出ダクトと合流し、主排気煙突に至る。クレマトリウムIIのLeichenkeller 2では上であった。

1945年にバウホフで発見された洋服掛けとベンチは、ダヴィッド・オレールによって描かれたものである。  

 

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資料14
[Photo by the author]
クレマトリウムⅡのLiehcnkeller 2を東西に見て、「Vorraum(前庭)」の上から撮影。一番奥は階段[labeled "escalier d'acès"]。手前にあるのは直立したマーカーレンガで、著者が置いたもの。

 

資料15
[Photo by the author]

レンガの前と左に、Leichenkeller 2との位置関係を示す穴がある。

 

資料15a
クレマトリウムⅡの平面図中の文字:[15a]

資料14、15の撮影者の位置(註:中央付近の矢印)。

 

資料16:
[Photo by the author]

円形開口部を斜めから見た光景

 

資料17:
[Photo by the author]

レンガを取り除いた天井の開口部の拡大図。

 

資料18.
[Photo by the author]

クレマトリウムⅡの脱衣所、Leichenkeller 2の空気抜きダクトを通過する円形の開口部を上から見たもの。直径は約25cm。  

 

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資料19
[Photo by the author]

クレマトリウムIIIの鉄と金網でできた入口ゲート。背景の木々の手前にあるのが廃墟。右側は、炉室の屋根が崩れた跡。左側の階段はオリジナルではなく、ビルケナウの犠牲者を追悼するために建てられた記念碑のもの。

 

資料20:
[Photo by the author]

倒壊した屋根の東西方向の図。5つの長方形の開口部は、5つのトリプルマッフル炉から発生する熱を排出させるためのもので、1つの炉に1つの開口部がある。    

 

資料21:
[Photo by the author]

クレマトリウムIIIの2番目の炉の上にある熱風排出用の開口部。

 

資料22.
[Photo by the author]

クレマトリウムIIIの1番目の炉の上にある熱風排出用の開口部。

 

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この個室では、いまや女性の代わりにファイルが積まれた棚が置かれている。面会が始まった。イワシュコ氏が一つ一つ丁寧に内容を説明してくれた。ファイルはたくさんあったが、収容所の活動やその広さを考えると、膨大だったはずの紙のほんの一部しか残っていないのは明らかだった。

私たちは5つの個室を調べたが、そのうちの1つにはクレマトリエンによる木材とコークスの消費に関するファイルがあっただけで、私の仕事とは関係ないものであった。6つ目の個室は「建設管理部」で、ここには私が何度も汗を流した図面があった。クレマトリエンに関する文書や図面が、どのような仕組みで分類されているのか、ようやく知ることができたのだ。各文書は、BW 30/ [すなわち、クレマトリエンの建設管理部である "worksite 30"] という最初の名称の後にカタログ番号が付けられ、カタログ化されている。BW 30/1からBW 30/34は、クレマトリエンの図面が含まれている。BW 30/25から30/31、30/34には、これらの建物の建設に関係する通信文、注文書、その他様々な書類が発見されている。私は、その原理上、主要なファイルを確認するために、通い詰めて確認した。BW30のファイルが並べられている中段の棚に、丁寧に箱詰めされ、黒い文字でGlowna Komisja Badania Zbrodni Hitlerowskich W Polsce[ポーランドにおけるヒトラー派の犯罪を調査する中央委員会]と書かれた、見たこともない2つのファイルを見つけた。私はそれを受け取り、書類を扱いやすくするために置かれていた小さなテーブルの上に置いた。箱を開けると、BW30/32から42までの10冊のカタログと、30/32 Aと30/34 Aの計12冊の小さなファイルが出てきた。私の驚きと苛立ちを察してか、イワシュコは「2カ月前に受け取ったばかりだ」と断言した(!)。BW30/ 34 Aの14枚の図面の中に新しいものがあるかどうか、すぐに確認した。私は、トプフの組み立て工であるメッシングのタイムシートに出会った。メッシングは、クレマトリウムIIとIIIのすべての換気装置を取り付ける作業の詳細を、週ごとに記録していた。彼の記録は、私が2年間かけて証明しようとしたことを証明している。もちろん、「Auskleidekeller/脱衣用地下室」は、すぐに私たちの心を捉えた。フランスに帰るまで時間がなかったので、ここで訪問を終えなければならなかった。アーカイブを見終わらないうちに...。私はイワシュコにシャンパンを賭けて、この新しいファイルから「Gas-」付きの 「痕/スリップ」が見つかると期待した。文書館が閉鎖されるまでに、私は、BW 30/38に「Gasskammer」[ガス室を発見し、できるだけ早くマイクロフィルムで送ってくれるよう依頼した。シャンパンについては、スケジュールがタイトだったこともあり、純粋に象徴的なものになった。

この「再発見」されたファイルは、非常に重要である。クレマトリウムの建設に参加した民間人の「伝票」11枚が含まれている。さらに、タイムシート[資料27]は、BW30[クレマトリウムⅡ]に「10 Gasprüfer / 10台のガス検知器」を供給することをトプフに緊急に要請した建設管理部の電報[資料28]のすでに告発的な意義に関するさらなる証拠をもたらしている。私は「スリップ」と呼んでいるが、一見普通の火葬施設の地下死体安置所(ここではLeichenkeller 2)で働く民間人が、「L-keller 2」の代わりに「Auskleidekeller 2」[脱衣室]と書けるということは、彼がこの施設の目的を理解しよく知っていたことを意味する。しかし、彼は慎重で、わざわざLeichenkeller Iを「Gaskeller 1」あるいは「Vergasungskeller 1」と呼ぶ勇気はなかった。

メッシングのタイムシートは、クレマトリエンIIとIllの換気設備について発見された最高の文書である。特にクレマトリウムIIが非公式に使用開始された時期をカバーしている。メッシングはこの仕事の中心人物であった。地下のガス室では、適切な換気装置がなければガス処刑は不可能であった。産業的絶滅計画の始まりは、彼の仕事に直接かかっていたのだ。

* * *

資料23:
[PMO neg. no 291]

1943年1月末、西から東方向に見たクレマトリアムⅡの炉室。右側の一番奥には、屋上に通じる階段がある廊下があり、その奥には、1944年夏、ニーシュリ博士とその助手が収容された「囚人休憩室」と呼ばれる部屋があった。熱風排出口は2、3、4、5炉の上に示されており、I炉のものは支持梁で隠れている。この開口部は、換気用の主煙突につながるダクトに接続されていた。この開口部が東端の1つ目か2つ目の開口部であるかは断定できないが、もう一つの開口部はガス室の有害空気排出口であった。ダヴィッド・オレールによると、ゾンダーコマンドのメンバーがクレマトリエンIIとIllの屋上スペースに住むことになったとき、熱を発するダクトのそばがお気に入りの寝床だったらしい。

この写真は当時すでに有名だった。ペリー・ブロードが以下のように語っている。

クレマトリエンI[II]とII[III]には、それぞれ4体か5体の死体を入れることができる15基の炉が設置されていた。アウシュヴィッツ収容所建設管理部はその仕事に誇りを持ち、クレマトリエンの写真集を本館の前庭に公開した。

15基の火葬炉が横に整然と並んでいる写真を見ながら出入りしていた民間人が、建設管理部の技術力よりも第三帝国の怪しげな組織について考えていたかもしれないことは、まったく忘れ去られていたのである。

確かに、グラブナーはすぐに介入して、この特異な宣伝をすぐにやめさせたが、彼は、建設管理部がクレマトリウムの設備に完全に精通している民間労働者を雇うことを阻止することはできなかったのである。彼らは収容所を出るとき、自分たちが見たことをすべて話した。

 

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資料24: 
PMOファイルBW 30/34の116ページ目の写真コピーの翻訳。 [“Krematorium II und III/BW 30 und 30a”, Schriftwechsel Buchstube 215 (microfilm 1060)]. 

複写

1941年10月22日

通信簿登録 no 715 ?/41 Ho. 
 
件名:トプフの3マッフル炉、吸引式強制通風設置、ゴミ焼却炉を受注。 
リファレンス:建設部長K.ビショフとプリュファー氏との会話。 
同梱:—

トプフ・ウント・ゼーネ社
エアフルト
 
アウシュビッツ武装親衛隊と警察建設管理部はプリュファー氏と建設部長K.ビショッフの会話を参考にして、ここに命令する。

          パルスエアー方式のトプフ3マッフル炉5基
          トプフ吸引式強制ドラフト炉2基(各約10,000m3/h)
          トプフごみ焼却炉1基。

炉と一緒に耐火物、断熱材、鋳鉄部品、ダクト、パルスエアー部品もすべて納入していただく。その他、レンガ、砂、石灰、セメント、錬鉄製の固定部材など、炉の建設に必要な資材は、こちらの建設管理部が提供する。

この注文では、契約の基礎となる価格の詳細な見積書を提出して欲しい。また、2つの死体保管庫、解剖室、炉室の空気抽出装置の見積もりも提出して欲しい。

このプロジェクトは急を要するので、直ちに炉の基礎と関連する煙道や水路の図面を描き、14日以内に建設管理部に提出するよう要望する。

上記の炉の部品は3ヶ月以内に納品すること。

約8週間後、御社の建設管理部に、基礎工事の監督をする組立工を一人派遣して欲しい。

プルーファー氏には、このプロジェクトに関する図面がすでに2枚渡されている。この図面に基づいて、必要な煙突の断面や高さに関するデータを建設管理部に提出する必要がある。

署名

ヤニシュ少尉用 [BW 30/27の写し]
キルシュネック少尉用[BW 30/34の写し]  

この手紙は2通あり、1通はヤニシュ、もう1通はキルシュネクに宛てたもの。これらの手紙のそれぞれの参考文献は以下の通り。

  • BW 30/27, page 27;
  • BW 30/34. page 116, microfilm 1060.

この手紙は、後にビルケナウ・クレマトリウムIIとなるものの設置に関する最初のものであるが、当時は、基幹収容所の新しいクレマトリウムとして計画されていた。この換気は、解剖室と炉室という2つの死体貯蔵庫に関するものであり、「犯罪の計画性」はない。  

 

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資料25:
すべての既知の証拠に基づき確立された換気煙突の確定図。

クレマトリウムⅡの換気煙突
(センチメートル単位)

  • Entrée d’air frais pour la chambre à gaz ou Leichenkeller I / ガス室またはLeichenkeller Iの新鮮な空気取り入れ口       
  • Désaération de l'air vicié de la chambre à gaz / ガス室からの有害空気の排出口
  • Sortie d'air chaud de la salle des fours / 炉室からの熱風の排出口
  • Désaération des salles de lavage, d'autopsie et de mise en bière / 洗浄室、解剖室、敷設室からの排出口
  • Désaération du vestiaire ou Leichenkeller 2 / 脱衣所またはLeichenkeller 2からの排出口

資料26:
PMO 写真ネガNo. 20995/507。著者が注釈をつけたが、1983年に出版された『L'Album d'Auschwitz(アウシュビッツ・アルバム)』 Editions du Seuil, の215ページに掲載されている。

1943年6月のクレマトリウムIIIあるいはBW30aの西側と南側(1943年6月25日に稼働中のまま引き渡された)。

  • Chambre à gaz souterraine ou Leichenkeller I du Kr III avec orifices de versement du Zyklon-B / 地下のガス室またはクレマトリウムIIIのLeichenkeller 1には、チクロンBを注入するための穴がある。
  • Porte latérale donnant sur la glissière à cadavres / 死体シュートへ続く横の扉
  • Entrée d'air pour la chambre à gaz / ガス室用空気取り入れ口
  • Sortie d’air du vestiaire / 脱衣室排気口
  • Sortie d'air salle d’autopsie / 解剖室排気口
  • Sortie d’air vicié de la chambre à gaz / ガス室有害空気排出口
  • Sortie d'air chaud de la salle des fours / 炉室温風排気口
  • Cheminée collective du Kr III / クレマトリウムIIIの集合煙突
  • Cokerie / コークス貯蔵庫
  • Portail d'entrée sur la cour / 庭の入り口ゲート
  • Vestiaire souterrain ou Leichenkeller 2 du Kr III / クレマトリウムIIIの地下脱衣室またはLeichenkeller 2。
  • Salle d’autopsie / 解剖室
  • Escalier d’accès des SS au sous-sol / 地下へのSSアクセス用階段
  • Entrée officielle du Krematorium / クレマトリウムの正式な入り口
  • Salle du four à ordures / ゴミ焼却炉室

 

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資料27:
[Extracts from PMO file BW 30/41]  


1943年1月15日から6月9日にかけて、トプフ&サンズの組立工であるメッシングが行ったクレマトリアンIIとIIIの換気装置設置作業。 

メッシングの「TIMESHEETS」の訳は直訳である。「L-Keller」は、ドイツ語で「Leichenkeller / corpse cellar(死体安置用地下室)」の略語を伝えるため、「C-cellar」と表記し、強調した。

(日本語訳註記:原著にあるドイツ語原文は省略し、英語からの日本語訳のみとした。)

  • 1月4〜5日:旅行
  • 1月5〜10日:クレマトリウムに吸引式強制換気装置[煙道]を設置。 
  • 1月11〜17日: クレマトリウムI(II)の吸引式強制換気装置3基の輸送と取り付け。  
  • 1月18〜24日: 捕虜収容所[ビルケナウ]のクレマトリウムI(II)に強制換気装置を設置。  
  • 1月25〜31日:強制通風、換気、空気抜き設備の取り付け。 3マッフル炉5基の2次ブロワー[横]の取り付け。材料の輸送
  • 2月1〜7日:3マッフル炉5基の2次ブロワーの取り付け。 
  • 2月8〜14日:クレマトリウムIV炉の第30b作業所、アンカーリング[字句不明]、全面的に完了。 C-cellarI用換気扇。洗浄室、解剖室、敷設室用換気扇取り付け。クレマトリウムII作業現場30。
  • 2月15〜21日:炉室換気設備に換気扇の取り付けを終了。 
  • 2月22〜28日: クレマトリウムIV、鉄製アンカーが完成。クレマトリウムII、C-cellar Iの換気扇の取り付け。C-cellarIIの換気ダクトの工事。

[PMO file BW 30/34, page 48]

     電報 

     作業現場30 

 
所在地:トプフ工場 エアフルト
テキスト:口頭で取り決めたガス検知器10台をすぐに送れ。見積もりは後日。

アウシュヴィッツ中央建設管理部
ポロックのサイン
SS少尉

1943年2月26日     18.20 SS少尉キルシュネック      イェー[リング、民間雇用者] 

  • 3月1〜7日: 現場 C 1の吸排気設備に設置された30個のバタフライバルブ。
    稼働開始。 
  • 3月8〜14日: 作業現場30。脱衣室用換気ダクトの取り付け。C l室用換気・排気設備試運転。脱衣室の吸排気設備工事。I室の吸排気設備が稼動開始(1943年3月13日)脱衣室2の換気ダクトの工事。  
  • 3月15〜21日:C cellar2の排気設備の取り付け。作業現場 30. 
  • 3月22〜28日:作業現場30。脱衣室用換気扇の改造と鉄製ダクトの取り付け。 
  • 3月29〜31日:(第30工場)クレマトリウムII。脱衣室の排気設備設置。 
  • 4月1〜4日:作業現場30a。クレマトリウムIIIの炉室用排気装置取り付け。 
  • 4月5〜11日: 作業現場30a。炉室の排気設備工事。C cellar 1の換気扇の取り付け。 
  • 4月12〜18日:作業現場30。リフトの修理。作業現場30a。脱衣室排気装置設置。炉室の空気抜きダクト。バタフライバルブの挿入。 
  • 4月19〜22日:作業現場30aの脱衣室に排気設備設置。 
  • 4月23〜26日:[タイムシートなし]
  • 5月4〜27日:作業現場30aに空気抜き設備とファンを設置。5月1日祝祭日(5月1日、2日)。 
  • 5月3〜9日:作業現場 30a。吸気・排気設備。洗浄室、解剖室、敷設室用の換気扇を設置。 
  • 5月10〜16日:作業現場30a。吸気と排気設備。作業現場30。CI用換気扇を交換。 
  • 5月17〜23日:作業現場30a。リフト設置済み。 
  • 5月24〜30日:本文は前回と同じ
  • 5月31日:or following, not copied 
  • 6月1〜6日:クレマトリウムIII リフトの取り付け、作業現場30a。 
  • 6月7〜9日:作業現場30a、クレマトリウムIIIのリフト完成。 
  • 6月10〜11日:エアフルトへ帰着。  

 

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メッシングは次のような仕事を次々とこなしていった[用語は簡略化されており、「Leichenkeller 1」と「2」はそれぞれ「ガス室」と「脱衣室」に置き換えられているが、これは本来の機能を示す用語である]。

  1. クレマトリウムIIの集合煙突の横に、3つの強制換気装置を設置。      
  2. クレマトリウムIIの5つの炉の側面にそれぞれ1台ずつ、5台のパルスエアブロアを取り付ける。
  3. クレマトリウムIIのガス室用換気扇の取り付け。      
  4. クレマトリウムIIの解剖室、洗浄室、敷設室の換気扇の取り付け。      
  5. クレマトリウムⅡの炉室に換気扇を設置。       
  6. クレマトリウムⅡの脱衣室に排気ダクトを設置。       
  7. クレマトリウムUのガス室の吸排気設備のテスト[3月10日、11日]。     
  8. クレマトリウムIIガス室の換気装置を稼働させる[3月13日]。  
  9. クレマトリウムIIの脱衣室に換気扇とダクトを設置。 
  10. クレマトリウムIII炉室の排気装置の取り付け。      
  11. クレマトリウムIIIガス室用換気扇の取り付け。      
  12. クレマトリウムⅡのリフトの修理。      
  13. クレマトリウムIIIの脱衣室の換気装置の取り付けを完了する。      
  14. クレマトリウムIIIの解剖室、洗浄室、敷設室の換気扇の取り付け。      
  15. クレマトリウムIIガス室の換気扇を交換する。
  16. クレマトリウムIIIリフトを装着する。

コメント

クレマトリウムIIのゾンダーコマンドの元メンバー、ヘンリク・タウバーは次のように証言している。

1943年3月4日、彼は仲間とともに、朝から5つの炉の竈(かまど)に火をつけ、午後4時まで炉を動かし続けた。次に、ブンカー2から運ばれてきた肉付きの良い45人のガス犠牲者が、クレマトリウムIIの15個のマッフルで、1マッフルあたり3人ずつ焼却された。このオペレーションは、収容所の政治部員、SSの高官や民間人、トプフの技術者などが見守る中、40分ほどで行われた。

その後、10日間ほど炉を動かし続けたが、火葬は一度も行われなかった。

3月14日日曜日の夕方、1500名のクラクフユダヤ人が、クレマトリウムⅡの庭に建てられた仮の脱衣小屋で服を脱いだ後、Leichenkeller Iでガス処刑された。

タウバーが示した日付とメッシングのタイムシートの日付は完全に一致している。原本[資料29~33]は、メッシングが緑色の鉛筆で記入した。勤務時間は平均11時間と非常に長かった。日曜日は8時間しか働かないが、2倍で計算した。月10日、Leichenkeller 1の「テスト」が始まった時、彼は16時間働き、13日、その設備が稼働した時には15時間働いていた。これは、彼がアウシュビッツで過ごした5カ月間で最も長く働いた日数である。その理由は、SSがひどく急いでいたためである。

メッシングは毎日ではなく、週の終わりにタイムシートに記入していたと思われる。彼は、Leichenkeller 2の機能が明らかになった3月8日以降(日曜日にタイムシートを記入した場合は14日)までは、「Auskleidekeller(脱衣用地下室)」という言葉は使っていない。庭にあった仮設の脱衣小屋は、メッシングがLeichenkeller 2での仕事を終えるまで使われ、その後余剰となり解体された。

メッシングがどんな思いで換気システムのモーター、ブロワー、バルブ、ダクトを設置していたのか、全く想像がつかない[資料34]。3月15日以降、彼は自分の作業の最終目的地について何の疑いも抱くことができなくなった。大規模なガス処刑を目撃した最初の民間人として、彼はエアフルトに戻った後、家族や友人にそのことを話したに違いない。1943年2月26日の電報は、トプフ&サンズがガス処理システムの技術的実施に深く関与していたことを証明している。親衛隊と妥協して「命令で」行ったこと、さらに悪いことに、商業的な利益のためだけに行ったことが、1945年に「神経がバラバラになった」専務取締役ルートヴィヒ・トプフ・ジュニアの自殺につながり[ワイマール州立公文書館、トプフ&サンズ No.2/555、1945年10月11日のAktennotiz(メモ)]、1946年3月4日の午後、この会社の火葬設備部門である D.I V(火葬装置)の代表クルト・プリュファーをロシア人が逮捕した[同じソース、 Aktennotiz registered on 24th April 1946]。

結論として、KLアウシュヴィッツに雇用されていない民間人が、タイムシートで、クレマトリウムⅡのLeichenkeller 2(すなわち地下死体安置所の一つ)を5回、クレマトリウムIIIのそれを2回、「脱衣室」と呼んでいる。彼の仕事の年表は、クレマトリウムIIに要請された10個のガス検知器がそのガス室の換気テストに使われたことを裏付けている。



資料28:
[page 48 of Bw 30/34]
ガス検知器10台の即時発送を要請する電報。

緑色のインクで書かれた署名は、技術専門スタッフのイェーリングによるもので、建設管理部技術課に所属し、クレマトリウム建設に関する書類を担当していた民間の暖房技術者である。1943年1月からは、これらの建物に関する通信を整理する責任者であり、少尉キルシュネックの全面的な責任下にあったと思われる。クレマトリエンのコークス消費量(理論値)を計算したのはイェーリングで、このとき彼はキルシュネックから叱責されるほどのミスを犯している。

この電報は、他のBW30/34の文書とは一線を画す、謎めいたものであった。なぜ建設管理部が、火葬炉メーカーであるトプフのガス検知器を10個も要求したのだろうか? トプフは、チクロンBの製造・販売業者であるデゲッシュでもテッシュ・アンド・スタベノウでもない。解決対象として考えられるものは2つあった。炉室内のCOやCO2などの燃焼生成物や、クレマトリウムII(BW30)ガス室内のHCNの残存の検出である。タイムシートを見れば、この電報の意味を正確に理解することができる。1943年2月24日と25日、メッシングはLeichenkeller Iの排気ファンを修理していた。ガス室は稼働しているようである。SS少尉キルシュネックは26日の夜、炉とボイラーを専門に製造している企業に「Gasprüfer(ガス検知器)」を直ちに発送するように電報を打った。トプフは必然的にこの注文を下請けに出さざるを得なくなる。3月1日から7日にかけて、メッシングはLeichenkeller 1のすべての設備を完成させた。10日、11日には「Gasprüfer」が到着し、「テスト」に進むからだろう。何のテスト? もちろん、使用するチクロンBの量を決める目的で、換気後、毒ガスの残存量を測定するためである。13日になると、すべてが整い、ガス室が使えるようになる。14日の夜、1500人のクラクフユダヤ人たちによって、そのテストが開始された。

この容赦なく、反論できない一連の出来事は、1943年2月26日18時20分に送られた電報の小さなコピーを適切な文脈に置くことで、ガス室の準備に関するトプフの罪を立証し、「10 Gasprüfer」がクレマトリエンに殺人ガス室が存在したことを立証する決定的証拠であることを証明しているのである。 

註:この資料28に対するプレサックの推理は誤りである。確かにアウシュヴィッツ建設管理部がトプフに要求した「Gasprüfer」はガス室の青酸ガスを検出するために要求したものであるが、テスト用ではなかった。建設管理部の目的は、ガス処刑後のガス室からの遺体搬送処理を行うにあたって、どのタイミングで搬送作業が開始できるかを知りたかったのである。遺体搬送処理を行うゾンダーコマンドに毒ガスで死なれては流石に困るからだ。戦後の裁判で、プリュファーは次にように証言しているのである。

ここに示されているアウシュヴィッツ強制収容所のSS建設管理部に宛てた1943年3月2日の私の手紙のコピーに記載されているガステスターは、同収容所の責任者フォン・ビショフの要請により、収容所の火葬場のガス室に設置するために、私が探したものです。フォン・ビショフが私にそれぞれの要請を持ちかけてきたとき、彼は、ガス室で被収容者を毒殺した後、換気してもなおガス室内にシアン化水素の蒸気が残っているケースがしばしばあり、このガス室で働く作業員の中毒につながると説明しました。そこで、ビショフ氏は私に、ガス室内のシアン化水素蒸気の濃度を測定して、作業員の作業を危険にさらすことのないようにするためのガステスターを製造している会社を調べてほしいと依頼したのです。 しかし、このようなガステスターを製造している会社が見当たらなかったので、フォン・ビショフの要求に応えられませんでした。

本翻訳では、出来るだけ翻訳のみを示すこととし、あまり翻訳者の解説を加えないように留意しているが、ここは著者であるプレサックの「悪い癖」が如実に出ているところなのであえて注釈を行った。歴史史料によって事実を読み解く場合、ある程度の推理が必要なのは当然であるが、推理はあくまでも推理であり、可能な限り「裏付け」を行うべきである。裏付けの史料が得られずに推理で止まることも多々あるものの、その場合はそうした可能性の指摘に止めるべきである。しかしプレサックは上記の文章中で「タイムシートを見れば、この電報の意味を正確に理解することができる」などと述べて、自身の推理が間違いないかの如くに述べているが、それはプレサックが単にタイムシートから推理しただけであり、裏付けられているわけではない。その上、プレサックの推理には欠陥があり、例えばなぜ10台のガス検知器が必要なのかについて、何の説明もしていない。試運転テストなら10台ものガス検知器は不要のはずである。プリュファーの説明ならば、将来的に完成する火葬場のガス室を含めてトータル四カ所のガス室につき、2台ずつで合計8台+予備2台という程度に妥当な理由を考えることが出来る(もっともこれ自体は推測にとどまる)。この本はもちろんプレサックの素晴らしい業績ではあるが、細かく読み解くとこのような「悪い癖」はそこそこあるので、プレサックの説明を鵜呑みにばかりしないように留意した方が良いと思う。但し、この電報は確かに決定的証拠の一つではある。修正主義者たちはこの電報に記されたガス検知器の意味・目的をどうにかして読み替える(アーサー・バッツは「ゴミ焼却炉の燃焼生成物として生ずるシアンガスを検知するためのもの」とし、カルロ・マットーニョは「火葬場の煙道に生ずる一酸化炭素ガスを検知するためのもの」と読み替えた)以外に方法はなかったのである。

 

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資料29

 

資料30

 

資料31

 

資料32

 

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資料29~33 メッシングのタイムシート

資料33



資料34
[PMO neg. no.20995/506] 

資料34a

1943年1月初旬または中旬、完成間近のクレマトリウムⅡの南側の眺め。 手前右側が将来のガス室となるLeichenkeller Iで、建設は完了しているが、まだ土手で隠されていない。チクロンBを導入するためのトラップはまだ設置されていない。クレマトリウムの屋根にある天窓と、屋根の棟にある集合換気用の煙突は現在工事中である。Leichenkeller 1の独立した換気煙突(新鮮な空気の取り入れ口)が完成し、4つの空気出口を持つ主換気煙突の作業をしている人がいる。炉の部屋のすぐ上の雪が溶けたので、炉は動いている、あるいは動いていた。服装から判断して一般人であることがわかる作業員は、メッシングだけなのかもしれない。  

資料29:[Page 28 of BW 30/41]

1943年3月8日から14日までの1週間

  • BW 30[Kr.II]. Entlüftungs-Leitung für AUSKLEIDEKELLER montiert. / 第30作業現場「Kr.II」。脱衣用地下室の排気ダクトを設置。     
  • Be u. Entlüftungs Anlagen für L-Keller I. versuchsweise einprobiert. / C celler 1の吸排気設備の予備テスト。     
  • Entlüftungs-Anlagen AUSKLEIDEKELLER gearbeitet. 脱衣用地下室の空気抜き設備の作業 - Be u. Entlüftungsanlagen Keller I in Betrieb genommen. /  地下室Iの吸排気設備が使用開始された(1943年3月13日)。     
  • Emlüftungsleitung für AUSKLEIDEKELLER II gearbeitet. / 脱衣用地下室2の排気ダクト工事      

 

資料30:[Page 26 of BW 30/41]

1943年3月22日~28日の1週間。

Bauwerk 30. Entlüftungsventilator vom AUSKLEIDEKELLER umgearbeitet und Blechrohrleitung verlegt. / 第30作業現場[Kr.II]。脱衣用地下室の排気ファンを改造し、スチールダクトを取り付け直す。 

 

資料31:[Page 25 of BW 30/41]  

1943年3月29日、 30日、31日

(Bauwerk 30) Krematorium II. Entlüftungsanlagen AUSKLEIDEKELLER verlegt. / 第30作業現場クレマトリウムIIの脱衣用地下室の空気抜き設備の改修。 

 

資料32:[Page l0 of BW 30/41]

1943年4月12日から18日までの1週間。    
Bauwerk 30 [Kr.II]. Fahrstuhl repariert. / 作業現場311[Kr.II]。リフトの修理。    
Bauwerk 30a [Kr.III]. Entlüftungs-Anlagen für AUSKLEIDEKELLER montiert. / 作業現場30a [Kr.III]。脱衣用地下室に排気装置を設置。     
Entlüftungsableitung für Ofenraum. /  炉室の排気ダクト。     
Drosselklappen eingebaut. / バタフライバルブを挿入。 

 

資料33:[Page 10 of BW 30/41].   

1943年4月19日、20日、21日      
Entlüftungs-Anlagen im AUSKLEIDEKELLER Bauwerk 30a [Kr.III] montiert. /  作業現場30aの脱衣用地下室に排気設備を設置[Kr.III]。      

 

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クレマトリエンIIとIIIの様々な換気設備に使用されている電気モーターの大きさ

ソース:

1.     [ BW 30/34, p. 97]
1943年2月3日、メッシングから発せられ、SS少尉キルシュネックによってトプフに送られた不足装備の要請には、次のように記されている。

  • Leichenkeller 1 / ガス室:吸気ファンNo.450 1台;
  • Leichenkeller 2 / 脱衣室:排気ファンNo. 550 1台; 
  • Ofenraum / 炉室:排気ファンNo.550 1台; 
  • Sezier-. Wash-u. Aufbahrungsraum / 解剖、洗浄、敷設室。排気ファン1台 No.375

2.      [BW 30/27, p. 55]
1943年2月3日にキルシュネックが送った電報には、この装備について同じ呼称が繰り返されている[資料35]。

 [上記2つの文書にはファンの種類のみが記載されており、使用されるモーターの種類やサイズについては一切記載されていない]。 
      
3.     [BW 30/34, p. 84 and BW 30/27 p. 61] 
1943年2月11日に建設管理部から送られた電報について、1943年2月12日付けのトプフの返信で、即時発送について触れている。

  • Leichenkeller 1 / ガス室:No.450ファン、3.5HPモーター付き1台  
  • Leichenkeller 2 / 脱衣室:No.550ファン、7.5HPモーター付き1台

4.      [BW 30/34 p. 85 and verso]
1943年2月11日にトプフに送られた建設管理部の手紙には、以下のファンとモーターの不足が確認されている。

  • Leichenkeller 1 / ガス室:No.450ファン、3.5HPモーター付き1台
  • Leichenkeller 2 / 脱衣室:No.550ファン、7.5HPモーター付き1台

5.      [BW 30/34, p. 84 and BW 30/27, p.61]
1943年2月14日に建設管理部が受け取った1943年2月11日のトプフの手紙は、発送を確認するものである。

  • No.450ファン1台[for Leichenkeller 1 / ガス室]; 
  • 木製のNo.450ファン[おそらく誤り:550とすべき]の7.5HPモーターが欠品しており、一時的に同じ回転数の10HPモーターに置き換える予定である。  

6.      [BW 30/25, p.7 (microfilm N° 1322)]  
1943年3月6日の建設管理部書簡がトプフに示している[資料36]。 

  • 脱衣用地下室(Liechenkeller 2)の排気設備について  

7.      [BW 30/43, p. 19 (a). p. 22 (b)]
建物の正式な引き渡しのために記入された2枚の目録には、こう書かれている。
      
 (a)クレマトリウムⅡの屋上スペースにて[資料37] 

  • 1.5HP電気モーター付きファン1台[難読]。 
  • 3.5馬力の電気モーターを搭載した2台のファン。 
  • 4.5HP電気モーター付きファン1台[難読]。 
  • 10HP電動モーター(リフトギア付)1台、貸出中!

 (b)クレマトリウムIIIの屋上スペースにて[資料38]。 

  • 2.5 kW 電気モーター1台
  • 2.6 kW 電気モーター2台  
  • 5.6 kW 電気モーター2台
  • 1.1 kW 電気モーター1台

エレベーターと換気モーターの配置は、1942年春から1945年初頭まで電気技師コマンドのメンバーであった元囚人ポレブスキの証言によって確認されている[H. ラングバイン著「Le Procès d'Auschwitz, p.92 ff」]。 

クレマトリウムI[II]とII[III]では、ガスを排出するための電気排気ファンと、火をよくするために炉のそばに送風機があった......」

...屋上には、ゾンダーコマンドの部屋があった。
(19441年夏。そこにはエレベーターと換気扇の設置、電気安全設備もあった。[図面980の西側部分の屋根スペースの部屋si(ママ)] 

これらの文書には、換気される部屋と、それぞれに固有のファンおよびモーターに関する完全な記述はない。

これらの情報源を統合して表にまとめると、モータサイズをkW/HPで表し、データを2つの提案された分布に調和させることができるが、これは入手可能な情報に照らして論理的に可能な唯一のものである[資料39]。

 

ディストリビューション1は以下に基づいている: 

  • リフトに最も強力なモーターを予約する。 
  • 同型のファンがある部屋には、同出力のモーターを分散配置する(炉室と脱衣室は550)。 
  • 最も強力なモーター、またはタイプ550のファンを駆動するモーターと同等のパワーを持つモーターをガス室に割り当てる。

ディストリビューション2は以下に基づいている: 

  • 部屋の容積に応じてモーターを配備する[1943年2月3日から12日にかけて建設管理部とトプフの間で交わされた手紙には、必要な電力が部屋の大きさに依存していることが示されている。 
                      Ofenraum = Leichenkeller 2 > Leichenkeller I > Sezier-, Wasch- u. Aufbahrungsraum:
  • メッシングの要望によりガス室用モーターを配置。 
  • 最も強力なモーターを昇降機に、その次を炉室に。 

主な大部屋に同程度のパワーを持つモーターがそれぞれ配置されていることから、分布2の可能性が高いと思われる。注文したものと供給されたものの差は、1943年の初め、トプフが所定のサイズの電気モーターを入手するのに困難と遅れを経験していたことを示し、帝国経済がすでに危機的状況にあったことを物語っている。

 

その他のモーターも設置した。

  1. パルスエアブロワーモーター5台、各炉の側面に1台ずつ、単位出力2.2kWまたは3.0HP、またはタイプII/IIIのクレマトリウムあたり合計I I kWまたは15HP。
  2. 強制通風機用モーター3台、各11 kWまたは15 HP、クレマトリウムlIでは合計33 kWまたは45 HP。これらは、不具合と小さな火災の結果、すぐに撤去された。クレマトリウムIIIのものは、設置されることもなかった。 

電気モーターの総所要電力は

  • クレマトリウムII:60.9kW(83馬力)、その後、強制通風装置を取り外すと27.9kW(38HP)に。
  • クレマトリウムIII:31 kWまたは42.2 HP

ワルシャワ中央委員会の文書館には、PWO収容所の全体図、1943年6月18日の建設管理部図面2503があり、電気モーターが設置されていることが示されている。  
     クレマトリウムII:11基のモーター(合計40.30kWまたは55HP)。 
     クレマトリウムIII:12基のモーター(合計35.06 kWまたは47.8 HP)。

知っているモーターの数(10、11個)と図面の数(12、13個)、総電力に関する私の知見と図面の知見との間に食い違いがあるのは、未知の要因によるものである。モーターは、クレマトリウムの廃水を汲み上げたり、排出したりするために使用された可能性がある。死体を1階まで運ぶために、まず仮設の吊り上げ機が設置され、その後、異なる出力のデマグの荷物用リフトが常設された。このようなことから、クレマトリウムIIとIIIの換気システムのモーターの大きさを調べても、絶対的に正確な結果を得ることはできないのである。

 

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資料35:
[PMO file BW 30/27, page 55]

アウシュヴィッツ中央建設管理局からトプフ&サンズ社への電報。
1943年2月3日、エアフルト

複写:

「C-cellar2用吸気・圧力接続および調整弁付き550番、炉室用圧力接続付き550番、解剖室用375番吸気・圧力接続、C-cellar1用木製調整弁を急送してください。」

アウシュヴィッツ中央建設管理部

/鉛筆書き/

シュルツェ技師は1943年2月3日16時15分に電話で、上記の品目はすべて6.1(土)[6.2の誤り]に必ず発送されると連絡しました。
      
キルシュネック      
1943年2月3日     
キルシュネック

資料36:
[PMO, BW 30/25, page 7 (microfilm No. 1322]

[キルシュネック直筆]クレマII及びIII

通信簿登録 no 24365/43/Jä/Lm

アウシュヴィッツ、1943年3月6日

件名:アウシュヴィッツ強制収容所、Kr II及びIII捕虜収容所、BW30及びBW30a  
リファレンス:1943年2月22日のD IV.課プリュファー氏の手紙
同梱:

トプフ・ウント・ゼーネ社
エアフルト      

ご指摘の通り、I号室は3つの強制通風設備の部屋からの空気で予熱することに同意します。そのために必要なダクトや送風機の供給と設置は、できるだけ早く行う必要があります。上記の手紙にあるように、今週中に完了させる必要があります。供給と設置に関する詳細な見積書を3部お送りください。

同様に、脱衣所の排気装置の改造についても、追加見積もりをお願いします。 

これらの見積書を受領した後、注文書を送付します。

アウシュヴィッツ武装親衛隊及び警察
中央建設管理部の責任者

[ビショッフのイニシャル]
SS大尉
[直筆]イェーリング

配布先:
1 建設管理、農業
2 捕虜収容所BW30及び30aに記録
公式責任者    


ヘス裁判の第2巻では、ヤン・ゼーンによる「NATURE OF THE DEVICES AND INSTALLATIONS(機器および設備の性質)」についての総括報告書に次のように書かれている。

「1943年3月6日の手紙、No.24365では、2番目の地下室が脱衣室(Auskleideraum)として[指定されている]」

この手紙には、2つの重要な「スリップ」が含まれている。

  1. クレマトリウムIIのLeichenkeller Iを予熱するために、「Saugzuganlagen」(強制通風設備)で作られた熱風を回収したことについての言及。

    実際にこのシステムが設置されたかどうかは不明である。たとえそうであっても、強制通風機のモーターがすぐに火を噴いて使えなくなくなるからだ。これらの問題のために、クレマトリウムIIIでは強制換気装置が設置されることもなく、クレマトリウムIIでは、それが取り外されて、部屋がゾンダーコマンドの宿泊施設に改造された。上級カポは8月に一部屋を割り当て[ヘンリク・タウバーの証言、PartIII、Chapter3参照]、残りの二部屋は浴室かシャワー室として改造されたようである[ニーシュリ博士によると、10のシャワーがある]。

    この文書は、決定的な証拠となる。修正主義者が主張するように、Leichenkeller Iが「死体安置所」のままであったとすれば、死体の一時保管のために、涼しい場所、冷たい場所を「予熱」しようとするのは、狂気か愚か者であろう。その進化を考慮せずに「典型的な死体安置所」説に固執することは、この手紙の信憑性を否定することになる。「予熱」は、青酸を蒸発させるために27℃まで温度を上げなければならないチクロンBを使うガス室でのみ意味を持つ。 
  2. 脱衣室の排気システムの改造を依頼する。

    これは重大な「スリップ」であり、また、クレマトリウムIIとIIIに排気装置を備えた換気の良い脱衣室があったことの追加証拠となるものである。 

 

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資料37:
[Page 10 of BW 30/43 film 1597/19]   

ビショフSS少佐と彼の事務員、SSトーマ軍曹が署名したクレマトリウムIIの備品目録。

  • Krematorium 2. KGL.30. Dachgeschoss. Hftlgs-Schlafraum. Bodenraum. Motorraum / クレマトリウムII POW 30。屋上スペース。  囚人寮。ロフト モーター室
  • Gebläse in. elektr. Motor 1.5, - 3.5, - 4.5 P.S. / 1.5、3.5、4.5HPの電気モーター付きブロワー
  • Elektr. Motor m. Aufzugvorichtung, leihweise! 10 PS / リフトギア付き電動モーター、貸出中! 10HP

 

資料38:
[Page 22 of BW 30/43, Film No.1597/17].

ビショフSS少佐の署名入りクレマトリウムⅢ備品目録。 

Krematorium. KGL. 30a. Dachgeschoss. Häftlingsr. Bodenraum. Maschinenraum /
クレマトリウム POW 30a。屋上スペース。囚人の部屋 ロフト 機械室 
Elektro Motoren 2.5, - 2.6. - 5.6. 1.1 KW / 2.5、2.6、5.6、1.1 kWの電気モーター。

 

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資料39:

モーターの能力の再現表

[数値はkW/HPで表記し、下線は原文のものである] 

部屋指定  1943年2月3日~12日の通信に基づく条件      ディストリビューションI   ディストリビューション2  
クレマII   クレマIII   クレマII   クレマIII 
           
AUFZUG /
リフト
7.3/10  2 x [5.6/7-] =
11.2/15,3  
 7.3/10 11.2/15,3  
L-KELLER 1 /
ガス室 
        2.6/3.5
No 450 
3.3/4.5   2.5/3.4  2.6/3.5 2.6/3.5  
KELLER 2 /
脱衣室
5.5/7.5
No. 550
2.6/3.5   2.6/3.5  2.6/3.5  2.5/3.4  
SEZIER-, WASCH-, U., AUFBAHRUNGS-
RÄUME / 解剖・洗浄・敷設室  
IHPを想定
N° 375
1.1/1.5   1.1/1.5     1.1/1.5    1.1/1.5  
OFENRAUM /
炉室 
5.5/7.5
No. 550
2.6/3.5  2.6/3.5   3.3/4.5  2.6/3.5  
換気用モーター総出力  14.3kW/19.5HP  16.9kW/23.0HP  20.0kW/27.2HP  16.9kW/23.0 HP    20.0kW/27.2HP
 

 

付録

クレマトリウムIIのLEICHENKELLER Iで3000人をガス処刑?
不可能だ。下部の空気取り入れ口を
死体がふさいでいるはずだ。

(ある修正主義者からの手紙の中の議論に対する返答)

ガス室の実在を疑う相手との手紙や電話のやりとりを経て、私は彼の主張のうち、妥当と思われるものを二つ抜粋してみた。

Leichenkeller I[図面933の断面による将来のクレマトリウムII]の換気システムについて説明しながら、彼は、空気が上のオリフィスから入り、下のオリフィスから排出されることを指摘し、こう結論づけた。 

この配置は、部屋を遺体安置所として使う場合に最適だ。入ってきた空気は冷えて密度が高くなり、下部から取り出される。

そして、「想像してみてください」と言われた。

LK 1で多数の人がガス処刑された後の状況:死体が山積みになっている。空気取り入れ口がほとんど塞がれ、部屋は暖かい有毒ガスで一杯になってしまう。 迅速かつ効率的な機械的換気はどのようにすれば可能か?  と言いたいところですが、無理だ..

これらの発言は、ガス室として使われたLeichenkeller Iは換気システムの設計が不十分で、大規模なガス処刑[ニーシュリによると210m²に3000人、1平方メートルあたり13.3人(註:これは単純な計算ミスで、正しくは14.3人)]の場合には、下部開口部がふさがれて換気が不可能になることを意味している[博物館で見られる模型はこの「最大」ケースを示しているが、おそらく1000人を超えない犠牲者が描かれていると思われる]。

3000という数字は理論的で誇張されたものであるが、それを正しいとするならば、私の通信員の仮説も同様で、換気が遮断され機能しない。

このような「事件」が起こった場合、SSはどうしたのだろうか。

2段階に分けて進めていたはずだ。

  1. 北側の庭から地下に通じるドアと脱衣所のドアを大きく開けて、換気装置をフル稼働させれば地下の汚染は防げる。

    SSはガスマスクをつける前に、2人から4人のゾンダーコマンドのメンバーに命じて、マスクをつけさせ、ガス室のドアを開けさせ、いくつかの空気取り出し口がきれいになるまで死体を前庭に引きずり出させたことだろう。その後、ガス気密ドアが再び閉じられ、換気が再開され、その効率を上げるために必要なことは、チクロンB導入カバーを開けることであったが、その瞬間まではなかった。ガス室に青酸中毒の危険がないことをガス検知器で確認した後、「通常通り」の作業を再開したはずだった。

  2. ガス室が空になると、ガス室の端、南東の角に、直径約20cm、高さ2mの鋼鉄ダクトを固定するか、ほぼ同じ寸法のレンガの煙突を作り、下の空気取り出し口の一つに接続するか、それを保護して、上から暖かい汚染空気を取り込めるようにしたのであろう。修理にかかる時間は、午後の1時間もかからなかったはずだ。そんなことがあっても、クレマトリウムの「運営」が中断されることはなかった。現在のところ、私たちが持っている資料には、そのような作業に関する記述はないので、「3000人」のケースは発生しなかったと考えることができる。

Leichenkeller Iの初期の換気システムは、地下の死体安置室用に設計されたものであるが、この部屋をガス室として使用するための「決定的な」障害にはならない。 

 

註:このガス室に詰め込まれた人数の最大が「3000人」としているのは、ニーシュリだけでなく、例えばアウシュヴィッツの巻物として知られる、マルセル・ナジャリザルマン・レヴェンタルの記録にも出てくるものである。平米あたり14.3人は確かに多すぎるようには思える。しかし、以下の写真を見たらどう思うだろうか?

これはアウシュヴィッツ・アルバムにあるガス室へ向かうユダヤ人の写真であるが、実はその大半は女性か子供であった。子供が人数で示される室内密度を増大させるのは考えるまでもないだろう。一般に知られる群衆密度は子供を考慮していない。また、「3000人」と言う記述が指し示すのが必ずしもガス室の犠牲者だけを指すとも言えない。もしかしたら、選別前のユダヤ人移送者数の全数を示すのかもしれない。「今回のユダヤ人移送者数は3000人だ」の情報がゾンダーコマンドらに伝わっただけ、と考えてもそれほどおかしい話でもない。「正史派」でも、これらのことを考慮せずに数値自体が誤りと考える人はいるようであるが、ゾンダーコマンドらが記述したり証言したりするそれらの犠牲者数については、複数人が同じ数値を述べている点も考慮すれば、何らかの根拠くらいはあるはずではないだろうか。

 

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ブロック4の1階、「絶滅」セクションに展示されているクレマトリウムIIのガス室のカットモデル[PMO]。

[このモデルは、アメリカの航空写真が発見される前に作られたもの。]

チクロンBを注入するための4つの開口部の千鳥配置は、脱衣室が右上にあったはずのクレマトリウムIIIでのみ有効である。 

写真内の文字の翻訳

このモデルには多くの欠点がある。支柱が不十分で、7本のうち1本しか写っていない。2番目のZyklon-B導入柱が欠落している。ガス室の屋根の上に50cmの土の層があることの省略。換気口を表す切り欠きの近辺に犠牲者がいないことから、描かれた人間の塊によって部分的または全体的に妨害された場合を示唆することを避ける。

  • Arrivée d'air supérieur /  上段吸気ダクト  
  • Désaération basse / 下段排気ダクト  
  • Pilier de soutien / 支柱  
  • Clapet obturateur / カバー 
  • Cheminée d'introduction / 導入煙突 
  • Colonne grillagée de versement du Zyklon-B [1 à 4, la 2ème ayant été omise] /
  • Zyklon-B導入用金網柱[1~4、No.2は省略]。 

その不完全さにもかかわらず、遠くから見たこの模型は、大量殺戮を力強く喚起するものである。