翻訳者後書き:「ガス室は存在したのか?」を問うこととは。

この資料は、ジャン・クロード・プレサックによる『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』を翻訳したものです。

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 目次 - アウシュビッツ ガス室の技術と操作 J-C・プレサック著

 

翻訳者による後書き:
ガス室は存在したのか?」を問うこととは。


最初に、フランス人薬剤師のジャン・クロード・プレサックによる『アウシュヴィッツガス室の技術と操作』(以下『技術』と呼ぶ)を翻訳し始めたのは2020年8月21日だから、およそ2年がかりで翻訳を完了させたといえるかもしれないが、実際には2022年5月頃から全面的に翻訳し直しているので、作業期間は三ヶ月といったところである。但し、今後も細かな修正は続くだろうから、これで完全完了というわけでもないだろう。

なぜ、この『技術』を翻訳しようと思ったかについては、2020年の春ごろまでに、なぜだかホロコースト映画に興味を持ち、それを契機にネット上で色々関連情報を見ていると、それまであまり考えたこともなかったが、修正主義者(というよりあっさり否定論に感化されてしまったような人)がかなり多いことがわかってきた。また否定論を自身のサイトや動画などで主張する人が目立っていた。その状況に憤りを覚えたのだが、ホロコーストは門外漢に近く、知識があまりなかったので反論することができない。で、ネットで調べても、日本語下ではほとんどホロコースト否定論への詳細な反論ページを見つけられないでいた。それでもどうにか反論したくて色々調べているうちに「アウシュヴィッツ収容所のガス室」が修正主義者の大きな攻撃対象になっていることを知り、そのアウシュヴィッツについて事細かに調査した結果が掲載されている書籍が『技術』だと知った。日本語版は存在しないが、検索するとネット上に原著のネット版が存在したので、翻訳して色々と学ぼうと思ったのである。せっかくだから、その翻訳結果をネット上に公開してしまおうと考えた。

翻訳を公開するに当たって、このはてなブログを選んだのには深い理由があるわけではないが、簡単にHTMLが使えることや一覧性を考慮して、この形式とした。翻訳元のPHDNによる公開形式は1ページごとにWebページとして表示させているが、それだとプレサック本を閲覧するのに不便だと考えたというのもある。基本的に章ごとに1ページとしたので、かなり長いブログページも生じてしまっているが、ページ番号やHTMLによるタグも入れてあるのでそれらをしおり替わりに利用して欲しい。順番に読めるように目次から各章へ飛べるようにもしてある。

英語を含めた外国語は大の苦手なので、機械翻訳サービスのDeepLにほぼ全面依存しつつ、Google翻訳や日本のみらい翻訳、あるいはまたWeblioなどのネット辞書を使用したり、あるいはどうしても適切な訳語が見つからない場合はネット検索に頼りつつ独自の翻訳を施した。優秀な機械翻訳であると評判のDeepLは実際に使っているうちに色々と問題があることがわかり、その翻訳結果に騙されないようにする注意深さが必要で、結局のところ、できるだけ適切な翻訳をしようと思うと、翻訳スピードはおそらく自分で翻訳した場合にキーボードをタイピングする時間を省ける程度の速度しか出ない。

また、原著自体の字句の誤りや誤植はほぼないようだが、原著を手作業でテキスト化したTHHPのボランティアスタッフによる入力ミスがそこそこ多かった。後半になるにつれて入力ミスが増えてゆき、最終章の「著者後書き」ではかなり多くのミスが目立った。おそらく、ボランティアスタッフの人材はそんなに多くなく、時間も限られていて、作業の最後の方になると疲れ果てていたのだろう。

翻訳方針としては、機械翻訳にできるだけ頼ることで公平な翻訳を施したつもりである。もちろん、前述したように機械翻訳任せにできない部分は意外に多いので、かなり修正は入っているものの、誤訳に近いような酷い意訳にならないように注意はしたつもりである。但し、純粋な意味での誤訳はあると思うので、誤訳を発見した場合は遠慮なくご指摘いただきたい。

私自身による注釈はほとんど入れなかった。ホロコーストアウシュヴィッツに関して幾許かの知識量を持つようになったので、プレサックの記述のおかしな箇所を多少は気づくこともできるのだけれど、『技術』の日本語翻訳をネット上に提供するというのが最も大きな趣旨なので、必要最小限にしたつもりである。

 


 

この『技術』が世に出た経緯は、プレサックによる後書きから類推すると、当初のプレサックのアウシュヴィッツガス室に対する研究は、フランス人の修正主義者として名高いロベール・フォーリソンと関わるようになったことが大きい。特にフォーリソンは「たった一つ、一つでもいいから証拠が欲しい」と終生にわたって主張し続けたくらい、断じて「殺人ガス室」の存在を受け入れない人物であり、彼は絶対に、戦後の証言を受け入れることはなかった。フォーリソンが必要としたのは、単純に言えば「殺人ガス室」とはっきり明記されたような疑い得ないナチスの図面資料のようなものだったのである(しかし、その図面にたとえヒトラーの署名があっても「捏造」の可能性を疑ったろう)。

しかし、プレサックは極めて「真面目」であった。彼はそうしたフォーリソンの徹底した証拠主義に感化されてしまったのであろう、アウシュヴィッツ博物館におよそ10回にわたって現地訪問し、現場を隈無く探索して写真を撮ったり、資料室に通ってはアーキビストのタウデシュ・イワシュコらとやりとりしたりして、徹底的に当時の資料を漁ったのだった。彼はフォーリソンと袂を分かった後、研究を続けるとともに、当時のソ連国立公文書館十月革命」館まで出かけて資料を漁ったのである。

それはしかし、あくまでも「ガス室の証拠」を求めるものだった。一般的な歴史学者ももちろん各国の公文書館などに収められている当時の資料を徹底的に調べるが、通常は「ガス室の証拠」、つまりホロコーストをある意味「疑って」調べる人などほとんどいないはずである。つまり、プレサックの探究心の大元は修正主義者のそれと同じなのだ。だから、彼はたとえば次のように述べる。

この本は、ナチス強制収容所に現存する殺人・消毒目的のすべてのガス室について、批判と改善の余地がある詳細な研究の出発点となることを、何よりも意図しているのである。この研究はまた、伝統的な歴史(したがって、修正主義者の手法と批判についても)の完全な破綻を示している。この歴史は、ほとんどの場合、その場の気分で組み立てられ、任意の真実に合わせて切り捨てられ、価値が一定せず、互いに何の関連もない少数のドイツ文書を散りばめた証言に基づくものである。この新しい方法論は、映画やテレビ番組が、その成功にもかかわらず、最も初歩的な歴史的アプローチさえ軽んじて、基本的な現実から自らを切り離すように、メディアの成功を求める誘惑から身を守るためのものでもあるのだ。同じ場所、同じ遺跡、同じモニュメントを何キロも撮影して新しい発見がないより、これまで知られていなかった文書を発見して、2つの既知の事実の間のギャップを埋めることができ、それによって私たちの知識全体が向上することの方が何千倍も必要で重要なことなのである。このような映画やテレビ放送に投資するお金は、誤りやすく時間とともに変化する人間の記憶に基づく真実よりも、より脆弱でない真実を確立するための真の歴史研究に費やした方が良かったのではないだろうか。

https://holocaust.hatenadiary.com/entry/2020/10/06/021055#p264

以上の引用箇所は、2000年代前半くらいまでホロコースト否定をリードしたアメリカの歴史評論研究会(IHR)の代表であるマーク・ウェーバーが目敏く引用した部分でもある。もっともウェーバーらは「ガス室を立証したと公言するあのプレサックでさえ伝統的歴史学を否定している」と印象操作したいだけであるが。ところで、余談ではあるが、マーク・ウェーバーは上記引用箇所の中から「したがって、修正主義者の手法と批判についても(and hence also of the methods and criticisms of the revisionists)」を明らかに意図的に省略している。こうした姑息な修正主義者の手法に気づかずにこれを翻訳した元文教大学教育学部教授の加藤一郎の、欧米の修正主義の主張を鵜呑みにする姿勢にも呆れる。

確かに、プレサックの野心的な研究成果は本書に記されるように見事なものだったし、指摘は当たっている部分もあるかもしれない。プレサックは図面の徹底的な分析により、ビルケナウのクレマトリウムⅡやその鏡像であるⅢは、最初はアウシュヴィッツ基幹収容所で計画されていた火葬場であって、ガス室などなかったが、ビルケナウに建設される計画へと変更になった後、その建設途上で、そのクレマトリウムに計画されていた死体安置室の一つを殺人ガス室へと目的変更するように変わったのであって、建設計画当初からユダヤ人絶滅を意図したものではなかったと読み解いたのである。これは、当時の従来説にはなかったものであった(「ようである」と付け加えておく必要はある、当時の歴史学を知っているわけではないので)。

ところで、当時の従来の伝統的歴史学で、もしクレマⅡやⅢがそのように最初からユダヤ人絶滅目的で計画、建設されたとみなされていたのであるならば、私個人はそれは当時の歴史学者の怠慢であると思う。それは何も歴史学者たちがアウシュヴィッツ博物館の資料室に行かなかったから、というものではない。なぜならば、途中で目的変更された事実は、ルドルフ・ヘスの自叙伝にその理由が書いてあるからである。

 さて、戸外での最初の屍体焼却の時、すでにこのやり方は、長く続けられないことが明らかになった。悪天候や風の強い時など、焼却の匂いはあたり数キロにひろがり、周辺の住民全部が、党や行政当局の反対宣伝にもかかわらず、ユダヤ人焼却のことを話題にしたからである。

 一方、この虐殺作戦に加わった全てのSS隊員は事態について沈黙を守るよう、特に厳しく義務づけられていた。しかし、後のSS法廷での審理でも示されたことだが、関係者はこれに関し沈黙を守らなかった。重い処罰も、このおしゃべりを封じることはできなかった。

 さらに、防空隊も、夜陰にも空中で見えるこの火に対して抗議を申し入れてきた。しかし、つぎつぎ到着する移送者をとどこおらせぬためには夜も焼却をつづけねばならなかった。輸送計画会議で、交通省によって正確にきめられた輸送計画は、関係路線の渋滞と混乱をさけるためにも(特に軍事的理由からして)、無条件に厳守されねばならなかった。

 こうした理由で、全力をあげて計画を推進する一方、結局、大きな火葬場が二つ建てられ、ついでは一九四三年にはそれより小規模のもう二つが追加された。さらに後になって、規模の点では既存のものを遥かに凌ぐような火葬場が一つ計画されたが、これはもはや実現の運びに至らなかった。というのは、一九四四年秋、ヒムラーユダヤ人虐殺の即時中止を命令したからである。

ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫より)

もちろん、この文書を素直に読んでしまうと、ビルケナウの二つのブンカーでユダヤ人虐殺をやっていたけれど、書いてあるような諸事情で続けるのは無理なので、「その後に」ビルケナウのクレマトリウムが建設計画されたように読めてしまう。しかし、ヘスはちゃんとブンカーではユダヤ人虐殺後の焼却処分を続けられないから、ビルケナウの火葬場で行うようになったと、書いているのである。理由がそれなのに、どうしてビルケナウのクレマトリウムが、最初からユダヤ人虐殺目的で計画されたことになるのだろうか?

それはともかくとして、しかしながら、プレサックの伝統的史学に対する批判的眼差しは、彼自身をやや傲慢不遜な研究者にしてしまう。その点を、この『技術』の後に共著まで発表することになるアウシュヴィッツ収容所研究の第一人者ともされるヴァン・ペルトにも、以下のように言われてしまうことになる。ヴァン・ペルトはプレサックがアウシュヴィッツの犠牲者数を低く見積もったことについて批判し、以下のように述べた。

パイパーの数字に対するプレサックの挑戦は真剣に受け止められるべきなのか? まず、彼の研究の一般的な信憑性について考えてみよう。プレサックが、ガス室と火葬場の開発に関する研究を通じて、アウシュヴィッツ歴史学に重要な貢献をしたことは疑いの余地がない。しかし、プレサックは、アウシュヴィッツの歴史の一側面の研究によって当然の評価を得た後、少なくとも私の前では、アウシュヴィッツの歴史に関するすべての問題の究極の専門家であるばかりか、ホロコーストに関するすべての問題の専門家であると主張することさえためらわなかったことも事実である。その結果、プレサックは、自分が研究していない、自分の判断が及ばない問題については、躊躇なく遠大な主張をしたのである。ガス室の研究という狭い視野から「脱出」するために、犠牲者の数の問題に貢献しようとしたのもその一例である。アウシュビッツで殺害された人の数について、版を重ねるごとに評価を大きく変えていることを考えれば、彼の真の専門性の欠如は明らかである。

アーヴィングvsリップシュタット裁判資料(3):アウシュヴィッツ-2|蜻蛉|note

結果、ヴァン・ペルトがこの後で書いているように、プレサックの犠牲者数に関する説は学説的に受け入れられなかった。この『技術』で示したプレサックの研究成果の価値はもちろん、今でも色褪せることのない素晴らしい業績である。しかし一方で、『技術』をよく読むと、たとえばプレサックは自分の仮説を証明もせずに断定的に主張しているケースもしばしばあり、100%信頼できるものでもない。従って、この『技術』を読まれる際には、よくよく注意して読まれることをお勧めする。

 


 

最後に「ガス室は存在したのか?」について私見を述べる。アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のパイパー博士(ピーパーとかピペルとか、正確に近い発音表記がどれなのか未だに知らない)の研究成果として、収容所に移送された人数は約130万人で、登録囚人数は約40万人であるそうだ。差し引き、約90万人の行方は? 修正主義者がこの回答をしたのはみたことがない。せいぜい「アウシュヴィッツを通過した」と主張した程度だろう。ではどこに行ったのか? もちろん修正主義者の答えはない。あるいはアウシュヴィッツだけでも、私が知っているだけで数百人、おそらく実際には数千人にのぼる元囚人の生存証言者がいると思われるが、ガス室やガス処刑があったと証言した人で、嘘を強要されたと後に主張した人も知らない。ホロコースト捏造の陰謀があったとするならば、誰か一人くらい「嘘を言わされた」と口を滑らせる人がいてもよさそうなのに、戦後80年近く、そんな人は一人もいないのである。ホロコースト全体にしても同じである。当然ながら、陰謀実行者として「私が嘘を言わせたり、捏造資料を作成しました」と告白した人もただの一人もいない。

ホロコーストが捏造だとするならば、これほど鉄壁な捏造もないだろう。なのに修正主義者たちは捏造はバレバレが如くに主張する。だったらどうして犯人を逮捕しないのだろうか?

以上。